垂直落下式サミング

愛を語れば変態ですかの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

愛を語れば変態ですか(2015年製作の映画)
5.0
キモオタの「推し」という幻想に真っ向から対立すべく突き立てられた中指のような一編。お前たち好きだとか愛してるって言うけど、本当に目の前の女のこと理解できてんのか?と、俺の「最推し」黒川芽以に問われる。
アイドル、アニメヒロインから、近年ではVTuberにいたるまで、数々の人物を推してきたつもりでいるが、たぶん生涯ファンであり続ける気がするタレントのひとりが黒川芽以さん。ケータイ刑事や新耳袋のころから、ずっと好きだ。10代の初々しさ、20代の可憐さ、30代の色気、もうずっとぜんぶが好きで、こういうのが映画に恋するってやつなんだと思う。
でも、お前がいくらその女を好きだろうが、いつか推しは卒業するし結婚する。同じように、好きだった幼馴染みは大学のサークルで知り合った先輩とくっ付いたし、従兄弟んところもちゃんと甲斐性がなきゃいつまでも出し入れさせてくれるわけじゃなかったし、どっかのジジイが溺愛した娘はいつか生意気なことを言って実家を出ていくんでしょう、きっと。
女はお前から離れていく。どれだけ愛しても、いつか絶対に。その時が来たら、お前はどうする?と。推しによる推し事批判。そんなことされたら、オタクはどうなると思う?引き裂かれるんですよ。魂が…。
特に終盤にかけては、ただ男に言い寄られ求められるだけだった女性が、一方的な恋愛感情を否定し、みずからの自由意思を獲得することで、他者から愛でられるばかりの存在から見事に脱却してみせる。
その歩みは、誰にも止められない。橋の向こう側へと去ってゆく。これを行かせてしまえば残るのは悲しみしかないと知っているから、男たちは追いすがるしかないのだ。
本気の好きは例外なく尊い、だあ?そういうのが寝言だってんだよ。はあ、モチワル…死ねよと、愛だ恋だと錯覚していたもの、すがっていた感情、それを向けていた対象から、そんなもん大きなお世話だと告げられる。
かつてアイドルと呼ばれたものとの距離が近くなりすぎた現代においては、また評価の仕方が変わってくる映画なのではないでしょうか。
痛みを忘れる麻酔とは違う。消費する立場に甘んじるな。そんなもんより現実をみつめろと目覚めを促す覚醒剤。こいつは強烈だった。
キモい男たちに感情移入できるか。それが評価の分かれ目。目の前のにいる女よりも、自分のなかの女神(ミューズ)を愛してしまうタイプのバカには、最良の処方箋だと思う。たぶんね。