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猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)のarchのレビュー・感想・評価

3.5
三部作完結編。遂に人間と猿の戦争が始まる。
と言いつつ、全面的な対決が描かれるわけでなく、あくまでシーザーは防衛アンド潜伏の姿勢出始まり、2作目最後のイメージからは少しズレる。
それもそのはずで、この物語はあくまで「シーザー」の物語に終始する。映画は彼の家族の死を期にして、復讐譚のような形相となっていく。雪の中を馬で移動し、仇を追う姿はどこかウエスタン的で、聖戦紀という言葉からは想像できなかった静けさであるわけだが、それは猿という種族の存亡を担うシーザーの役割に矛盾する、彼自身の復讐心にフォーカスされる物語だからということでもある。
人間と猿、そこに横たわる"憎しみ"という感情。シーザーは原体験として幸運にも「いい人間」を知っている。だからこそ、実は猿全体(特にコバ)と前提が違うのだ。
そのうえで、彼は本作で家族を殺され人間に憎しみを覚える。果たしてその憎しみを捨て去り、連鎖を断つことができるのかが問われる。(ただそこにあまり解答があったようには思えない。)
またシーザーの欺瞞として、人間側が置かれている状況を把握しない悪癖がちゃんと指摘されるのがいい。シーザーの共存という選択肢は、両者が関わり合わなければ繁栄できる、という前提に立つ。しかし人間側には大人しくしていても、病気によって滅ぶしかなく、猿は同じ知性を持ちながら腕力を持つ存在として、常に人類を滅ぼしうる恐怖の対象としてあった。その人類側の事情を知らない、知ろうとしなかったのだ。前作でも人間側の事情を知ろうとしなかったシーザー、そこをしっかりセリフで指摘しているのはとても良かった。

言葉が喋れなくなる病気については、旧五部作好きとしては、文明の崩壊によって言語が失われていったという方が、その長い時間経過などを感じさせる設定で好きなので、若干残念と思いつつ、喋れなくなることが=人類滅亡という認識があるのはとても興味深かった。



実際本作では、憎しみの連鎖について答えは出ない。人間側に「悪役」が立てられ、尚且つ病気のせいで大佐との直接的な対決もない。(大佐がめっちゃ『地獄の黙示録』で笑う)
なので三部作として自分はかなり不満が残るものだった。
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