「共犯」を強制され
生きる選択肢を奪われ
映画の構図としても
視覚としても
焦点と視界を絞った世界の中で探求される、人としての最後の尊厳
長編デビュー作にしてカンヌ・グランプリ(ちなみに今年はドラン監督)に輝く快挙を成し遂げた新鋭監督の斬新な撮影方法が、この映画のテーマとも非常によく合致していて目からウロコがボロボロこぼれた
ピント合わせと絶妙なボケ
手前のモノとレンズとの距離が近ければ近いほど、背景のボケが強くなるというレンズの特性が、最大限に利用され活かされている為、サウルの表情(=ドラマ)のシャープさと、背景のボケ(=史実)のコントラストが更に際立って表現されていますね
そのボヤけた背景とは
直視できない現実であり
人間性の抜け殻となって彷徨うサウルの意識であり
ドイツが葬り去ろうとしていた事実でもあります
わずか数十センチのサウルとの距離を保ったまま
効率的に稼働する「死の工場」の中で
最後の尊厳を握りしめる彼に同行する・・・
ヒーローもいなければ
サバイバル的な奇跡も存在しない
圧倒的な絶望と恐怖
もはや、少年が本当に息子なのかは重要ではなく
息子らしき遺体は、サウルの尊厳の象徴として描かれ
この映画は
彼の行動の中にこそ、その本質を見出そうとしている
大量殺戮の歯車という
変える事の出来ない事実を再現するだけではなく
サウルがどのように感じ
どのように生きたいと願い
最後に何を望んだのか
そして
その感情がどこに辿り着いたのか・・・
そこに一番のメッセージが込められていて
それぞれ違った道筋を歩んだ犠牲者たちであっても、私たちと共通する本質的な部分が最後まで保持されてもいるんですね
ゾンダーコマンドたちが反乱の前に残して埋めた記録が元になってるだけあって、その詳細さは的確で確実
すぐには死ねずに苦しむガス室の悲鳴
工場でさばき切れずに外で焼かれた人たち
灰の処理
使い捨ての共犯者
それら全てを埋葬しようとしたドイツ政府に反して
彼らが命がけで残した証言が、実録という形で蘇る
予算もそんなに大きくはない中で、エキストラ400人を緻密に配置し、歴史的背景を忠実に再現する正確さには、実際にはもっと沢山のエキストラがいたんじゃないかと錯覚させられました