みやび

ハッピーアワーのみやびのレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
4.7
誰にでもある「日常」が映画という形になって私たちに届いている。
画面に映っているのは単なる物語ではない、私たち自身のこと。
映画の中に閉じ込められた複雑な人間関係が5時間17分という長尺で淡々と映し出される。
温かさと不穏さが共存する雰囲気が作品の始まりから終わりまでを緊張感のある形でまとめ上げていた。

人間関係とは見た目よりもずっと複雑で矛盾に満ちている。
友人、夫婦、親子、嫁姑、知人、仕事仲間、一晩だけの関係。
言葉にしてしまえばこんなにも簡単そうでわかりやすい関係図も、内情は絡まり合っていて解けることはない。
本音と建前、真実とウソ、自分と他人。
人は二面性である。
相手を大切に思うからこそ隠したいこと、逆に強く言ってしまうこと。
言いたくないのに気がついて察してほしいもどかしさ、それらを相手に求めすぎてしまうこと。
誰だって今ある関係を壊したいわけではないし、むしろ良好なものにしたいと思っている。
人は相手を思うからこそ本音を隠してみたり、今度は露わにしてみたりと様々な方法でコミュニケーションを図る。
本作はこのような一種の「思いやり」から生まれた「ウソ」が原因で様々な関係が崩壊したり、逆に結ばれたりする様子を登場人物それぞれの視点で描いている。

作品を通して感じたことは、「思いやり」も「許すこと」も「相手の気持ちを推し量る」ことも傲慢さからくるものであって、保身の側面も併せ持っているということだ。
本作で描かれる人間関係の崩壊の原因は、過去から現在まで続く問題から目を背ける自分を許し続けた傲慢さだと考える。
臭いものに蓋をするかのように、相手を思い遣っているという口実で、今あるものを失うことを恐れて、日々の中に見えないように隠してきた沢山の感情や憤り。
今まで守ってきたのは見せかけの幸せ。
わかっているからこそ自分がわからなくなってしまう感覚。
自分のことを嫌いになっていく感覚。
自分を好きになるためには、まずは自分と向き合わなければならない。けれど今ある関係が壊れるのは怖い。
相反する2つの感情。
生きている以上、付きまとう悩みは避けては通れないし、無かった事にすることなんてできるわけがない。
どう向き合うか、どう自分に正直になれるかが大切なことだ。
案外、「適当さ」が生き抜く力になるのかもしれない。
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