しどけ梨太郎

ハッピーアワーのしどけ梨太郎のレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
5.0
感情しかない。感情と状況の連鎖が延々と続く。それはカフェのシーンでの私たちなにもできないじゃんみたいな台詞でも自己表明というか再認識がなされる。が、3分の2を過ぎたあたり(もしくはジュンの行動)から一気に行動が流れ込んできてすべてを破壊していく。行動と心情・状況の連鎖というドゥルーズ的に言えば運動イメージに従った物語を、行動で心情をぶっ潰すことでぶっ潰している。それはラストショットが背中であることに如実に現れていると思う。ヌーヴェルヴァーグで戯曲をやった後に運動イメージ的映画(の皮を被ったなにか)でヌーヴェルヴァーグをやっている感じ。

当事者至上主義に陥る必然性というか時代の流れを虚構の物語でやってしまうのがヤバいし、それを実感させられてしまうのもヤバい。そう思うと登場人物も出来事もすべてがすべて必要十分に存在していてそれもヤバい。なんかもう怖い。

全体を通してコミュニケーション批判というテーマがある気がする。今日求められているコミュニケーションというのは畢竟、判断基準を他人にする(「相手の気持ちに立って考えよう」的な)ことであって、映画の中ではサクラコ(とフミ)がそちら側にいる。一方で、アカリ(とジュン)は判断基準を他人にすることなく自分自身の判断基準を持っている。この対置はそれぞれのラストの対置にもなっている。コミュニケーション不全による不和を描いているように見せかけて実はまったく逆のことを描き出している。序盤のワークショップも人間を関係させる役割以外に、ここに効くように配置されている気がする。

終盤のサクラコとフミの演技は心配になるぐらいキマっていて心配になった。