百日紅

シン・エヴァンゲリオン劇場版の百日紅のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

見終わったあと、帰り道の電車内で長い小説を読んだときみたいな読了感が急に襲ってきた。
それから、こんな感覚を感じられるほどに大人になれたのかなとも思った。

私のなかでエヴァは、大人になりきれない大人に囲まれた子供が戦わされて、なりたくないのに大人に変化させられている。そうならざるを得ない経験をつまされているもののように思えた。
旧劇場版のラストシーンは人類の運命を一人の子供に託すわけで、そのトリガーもまた一人の子供だった。
戦わなきゃいけない、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。そうやって大人コドモな大人に囲まれて戦うシンジをDVDで初めて観た私は「なんて可哀想なんだろう」と感じた。
そう感じてもう何年も過ぎて、
終局を見たときに彼が自分から望んで、自分の価値を見出すのではなく大切な人の為それだけのために進んで自ら選択したときに、余計なことは考えずにただぼうっと泣いた。


トウジ、ヒカリが住む村の営みに、汗水垂らして生きることに泣いた。
ただ生きてるだけで、それを観るだけでなんだか泣けた。
アスカはケンスケと新しい未来を見て、
レイとカヲルは神に近い存在から唯の人に、
シンジは最後まで自分を探して、見てくれた「胸の大きいいい女」と。
彼女と手を繋いで、電車を降りた駅から出た。
手を伸ばしてくれた彼女へ自分から手を差し伸べて、自分から選んでその駅を出た。
それだけ分の、シンジの成長を感じた。

知らないうちに人は成長する。
嫌ってほど、成長したりしなかったり。
同窓会で久しぶりに昔好きだった人と会っても、その人が「憧れる大人」「成熟した大人」になっているかは分からない。
尊敬していた父親が、同じ目線に立ってみて考えると別にそうでもなかったという事もあるかもしれない。
成長ってそういうこと。
エヴァに乗ることで自分を表現していたシンジが「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」と言えたことが、ゲンドウとシンジの成長の差なのかもしれない。

私がこの映画で一番胸に残ったのは、シンジが「逃げちゃダメだ」と言わなかったこと。
逃げちゃダメという言葉はアヤナミレイの「おはよう」「さようなら」と同じくシンジなりの「おまじない」だったと思う。
そのおまじないに頼らず、銃口を向けられても「乗せてください」と言う彼はもう14歳の殻を破り捨てて14歳の子供でも28歳の大人でもない「碇シンジ」の形に辿り着いたんだろうと思う。

最後に、「さようなら」は「また会うためのおまじない」だから。
違う駅に降り立った時はどうなるのか、それが知れたらいいなと思う。
百日紅

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