JeanBoissieu

シン・エヴァンゲリオン劇場版のJeanBoissieuのネタバレレビュー・内容・結末

-

このレビューはネタバレを含みます

この国の文化を牽引してきた作品のひとつが、25余年の年月をかけて「子(と父)の成熟」に向き合ってくれた。えらく長い親子げんかだったけど、そもそも人生かけた親子げんかをアニメがちゃんと描こうとするとそれくらいの歳月が必要だったのかもしれない。いや少なくとも、エヴァを引きずり、エヴァに何をかを託さずにいられなかった私(たち)には必要だった。とにもかくにも、まっとうに終わらせてくれたことにまずは感謝したい。
蛇足でしかないことは百も承知で、以下書かずにいられなかった鑑賞メモ。
---
前作でシンジ君が突っ走ったがゆえに引き起こされてしまったニアサードインパクト。未熟さを抱えたままの少年が時を経て出会ったのは、ニアサー後に築かれたコミュニティにおける人々のいとなみ(農業、勤労、生活、子育て)だった。
日々暮らしながら、「自分の行為が誰かの人生に少なからず影響を与えること」を引き受けあう人たちの姿。村の同級生やアスカ、綾波までもが関わり合い、支え合い、自意識の殻に閉じこもるシンジ君に対してもまた影響を与えていく。この経験は父であるゲンドウには(恐らく)なかった。彼の原体験は、ユイとの強い共依存関係だったから。ゲンドウの過去とシンジ君の現在の対比が、中盤では執拗なほど丁寧に描かれる。
だからこそ、クライマックスでシンジ君が向き合った「父殺し」という通過儀礼は、一対一の決闘ではなく、シンジ君が「父の弱さを受け入れる」ことで決着を迎える。圧倒的に強く恐ろしい存在として君臨していた父の孤独を知り、受け止め、乗り越える。自分のために、そして今度こそほんとうに、自分以外の誰かのために。
ここでシンジ君がよろしくお願いしまぁぁぁああすとか言って直接父を殺さなかったことがさすがだなと思う。槍を運んだのはシンジ君の母的役割として彼を肯定し続けたミサトさんだったし、その槍で父を抱きながら貫き、全てのエヴァを終わらせたのは実の母であるユイ(の幻)だった。この作品は少年のビルドゥングスロマンを超え、子と父と母をめぐる神話として終わりを迎えた。

--
まあほんとはゴニョゴニョ言わずとも、いい終わり方したなあ、の一言で十分なんですけどね。あといろいろ、回り回ってジブリなのは笑った。すばらしい映画体験でした。IMAX至高。
JeanBoissieu

JeanBoissieu