このレビューはネタバレを含みます
守るべき世界は既に壊れていた。
しかし、人類はそんな壊れた世界の中でも生きることを諦めることはできない。
もう世界に自分は必要ない。
何かを守ることによってのみ保たれていた自我は崩壊しかけていた。
シンジに守ることができるのは、もはや自分自身しか残っていなかった。
声を失った少年にとって、外界はあまりにも現実的で眩しすぎる世界。
だが集団に所属する限り、他者との関係性が消えることはない。
一人でいれたら楽なのに、孤独感と気遣いとを否が応にも押しつけられる。
痛みの感情を伴いつつ時間は流れてゆき、果たしてシンジは"生きたい"という感情と向き合うこととなる。
他者の愛を受け入れ、自己愛を取り戻した彼は歩く力を取り戻してゆく。
彼にとって支えとなる存在が一つひとつその役割を終え、その度に大人に近づいてゆく。
それは母であり、ご近所さんであり、上司であり、恋愛であり、そして父であった。
数多くの対話を経て、自分の魂と引き換えに世界の回復を見出すシンジ。
そうして完全に自立し役目を果たした彼に訪れたのは人生最後の親の庇護、そして伴侶という救いだった。
回復した世界に帰ってきたシンジ。
そこには使徒もいなければエヴァもいない。
全てが生まれ変わった世界では、行き先を見つけた電車がついに動き出す。
ああ、本当にシンジが大人になってしまった。
いつまでも胎の中にいて歳を取らないチルドレンが、ついにその呪いを破ったのだ。
今までの全ての時間はシンジがこの結末を探し当てるための試行錯誤であり、それは監督の苦悩とも一致するのだろう。
虚構に熱狂する自分を批判するのではなく、人の営みの素晴らしさを認識しそれに加わるべきとの結論だ。
また、エヴァンゲリオンはシンジを中心とした究極の世界系だとも思い知らされた。
これまでシンジは世界のために、世界(空間も、人間も、現象も含めて)はシンジのために存在していた。
しかしエンディングで遂に彼は世界のためではなく、自分のために生きる道を見つけたのだ。
新劇場版で新たに追加されたマリという存在が物語の鍵だったし、ここまで大きな役割だなんて思いもよらなかった。
おそらく、あの世界にてシンジがマリ以外の登場人物と会う事は無いのだろうと思う。
なぜなら、もうシンジにとっての役割を終えているから。
少し淋しいが、人生のパートナーを決めるってそういう側面もあるのではないか。
でも彼らも同等の人生をそこで手に入れているのだから、それはもう十分なほど尊い。
またヴィレはこの壊れかけた世界で泥臭く生きていく決意の表れであり、そのためにパリ奪還作戦や箱舟計画を実行したりする。
まさにエゴ全開のゼーレに対する反抗組織で、世界は皆の為にあり個人を中心に回ってはいないと考える。
そのためにはみずから犠牲を払うことさえ厭わない。
このような集団があるからこそ世界が存続できていることを忘れてはいけない。
第3村はヴィレの支援と自助の組み合わせで存続しているが、別世界のような穏やかさだ。
現代技術の失われたディストピアでありつつ、脅威から保護された牧歌的なユートピアでもある。
ここでアヤナミはプログラムに無かった日常の尊さを学び、シンジは守るべき世界が残っていた事を知りヴィレに参加する。
自分は主人公中心で映画を見ているので、設定部分に踏みこんだり、キャラやセリフを細部まで見るすることでまた別の感じ方もできるだろう。
これは完全にQが無駄とは言えなくなった。
今までのエヴァンゲリオンもとても好きだけれど、これにて揺るぎようのない結末を迎えた。
自重落下のアクションシーンもめちゃくちゃ良かったし、第3村の風景やコア化した外周部などもばっちり画が映えていた。
100点満点のエヴァンゲリオン卒業式。