やまざきこうた

私はゴーストのやまざきこうたのネタバレレビュー・内容・結末

私はゴースト(2012年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

タイトルとメインビジュアルに惹かれてみました。
予想を裏切ってというか、あまり見ないタイプの映画でした。序盤から中盤にかけては一見平凡なカットが繰り返され、合間に不穏な声やノイズが入り混じる。
ようやく展開すると、そこからは結構早かったです。とにかく霊媒師も幽霊も成仏を目指す。そのために死の真相に近づいていく。
すると、、、

多重人格という設定はもう見飽きてはいるのですが、まあ伏線も多々見受けられた(目玉焼きが二個一で、真ん中をフライで一個ずつに割る動作が特に印象的)ので、そこはあまり引っかからなかった。
そして現れる別人格。襲ってくる。逃げるし助けも求めるが、声は届かない。
追体験に成功し消えていく記憶の残像。これが成仏なのか?と思いきや光が見えない。闇に飲まれていく世界。別人格もパニック。繰り返される主題たる言葉。

超バッドエンド。あまりにも辛い最後。これで終わりかよって思わず1分くらい巻き戻しました。
お互いに見えない、聞こえない、存在を認知できない。コミュニケーションがうまく取れないから、人間と霊は対立しちゃう(共存できない)んでしょうか。
逆に言えばお互いが認知できれば、なんら問題ないってこと。急に引き出しが開いたりナイフが浮いたりするのがよくない。例えば一声かけられたら、あるいは姿が見えちゃえば、全然問題無さそう。
もう一回逆に戻すと、「死」とは世界を共存できなくなるということ。記憶は残っても、お互いの世界に(霊媒師以外)干渉できない。(霊媒師も完全には認知できない)

生者と死者の関係から一個次元を上げると、お互いに相手の世界を知らない者同士のお話。相手のことを知らないと救いが呪いになってしまう危険性もある。
そして、人間同士でも相手に干渉できないという状態は、限りなく「死」にも近いってことなんですね。相手にとって自分は死んでるも同然なのです。

変なところに着地してしまったけれど、色々考えてしまう結末でした。たぶん、光に包まれて救われていたら至らなかった。ということは、よい映画ですね。
登場人物も少なくロケ地も一か所、特別な演出もほぼなし。ローバジェットでこの出来はひとつ目指すべきところですね。
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