きえ

永い言い訳のきえのレビュー・感想・評価

永い言い訳(2016年製作の映画)
3.8
9/27 配給元アスミック・エースの試写室で行われたFilmarks主催の試写会にて鑑賞。上映後は西川美和監督のteach-inも行われ映画を”観て”映画を”聞く”と言うとても濃い時間を過ごさせて頂いた。

この物語は3.11で突然肉親や大切な人を失った人々に思いを馳せる中、”死”がもたらす物は決して美しいstoryばかりではないのではないか?と言う思いから生まれた監督ご自身の原作なのだけど、今まで蓋をされてた鋭いとこに視点が向いてる作品だと思う。

身近な人を失った人間は皆が皆悲しいのか?まずそんな問い掛けを受け取った。

当事者の感情とは別に世間からは悲しまない事は許されない暗黙の”当然”があって、その当然に従うべく悲しみの夫を演じる主人公の小説家。
一方で悲しみの余りとてつもない喪失感で過去に囚われてしまうトラック運転手。
2人は同じ”妻の死”を経験した男として、妻への感情も守るべき存在の有り無しも対極にありながら不思議な関係へと繋がっていく。

大切な人を失って泣けない人間と
大切な人を失って泣き暮れる人間…
どちらが過去は幸せで
どちらが未来は幸せなのだろう?
そんな気持ちで映画を観進めてた。

20年と言う長い年月を過ごした小説家夫婦のやり取りはリアルだった。この夫婦にとって最大の当たり前が元美容師の妻が夫の髪を切る事。ハサミの音が会話の代わりの様にサクサク音を立てる。歪んだ自意識に支配された夫をある種母親の様な目線でなだめる妻。とても印象的なシーンだ。監督は”音”を大切にしているとおっしゃってた。”音”を褒められると嬉しいと。会話より音が響き合う真冬のリビング…夫婦の年月を表すこれ以上のものはなく上手い演出だと思った。

子供を持たなかった小説家は成り行きからトラック運転手の子供達の世話を申し出る。子役と動物には勝てないと言うけどこの作品も然り。責任感の強い典型的なお兄ちゃんと天真爛漫自由人な妹を演じた子役2人の演技が光ってた。特に演技経験ゼロの妹役の演出には苦労したとおっしゃってたけど凄く自然なやり取りに仕上がってた。兄妹喧嘩のシーンは本物の兄妹かと思った程だし(実際顔も似てる)小説家と子供達で過ごすシーンは芝居を超えてドキュメンタリーそのものだった。

この作品は子供の成長は誤魔化せないと言う理由から1年掛けて撮影したと言う。子供にとっての1年は大人のそれとは比べ物にならない。母を失い不安と戸惑いを顔に浮かべてた幼さの残る少年が1年後には精悍な少し大人の顔になってた。監督がこの作品に込めたのは”育む”と言う事だとおっしゃってた。関係を育む、愛を育む、そして実際に映画も1年掛けて育まれたのだ。

人が生きてく上でモチベになるのは誰かに必要とされる事だと思う。育む事はその最たるものかもしれない。
守るべき物がある怖さを呟くトラック運転手と守るべき物を得て喜びを知る小説家。2人の対比はどっちも真実だ。

妻を亡くして機能不全に陥った父子家庭での小説家は通訳の役割を果たしていた。
父親の気持ちを翻訳し多感期の少年に伝える、少年の気持ちを翻訳し父親に伝える…
自分自身は”かなりとんでもない夫”であったにも関わらず他者への役割は機能できてしまう。まるで、人の恋愛相談には完璧なアドバイス出来るのに自分の恋愛はまるでダメみたいな感じ…(笑)

そして思った。人を勇気付けたり救うのはヒーローなんかじゃないのでは?
人(大人)はみな強そうに見えて本当は弱い。だからこそ、人を励ましながら自分が一番励まされるのだと思う。

小説家が他者と触れ合い関係を育む中で『人生は他者との関係性の上に成り立つ』事に気付くまでの『永い言い訳』はそこでやっと次のステップに進むのだろう。
”言い訳”を辞書で引くと一般的な意味とは別に謝罪と言う意味もある事を知った。
そこまでタイトルに含みを持たせてるかどうかは分からないけど、大切にするべき時に大切にしなかった自分、愛すべき時に愛さなかった自分を詫びる…そんな男の心情も汲み取れた。

最後に…1年を通じて16ミリで撮られた四季を感じる景色は美しかったし、落ち葉の音や何気ない季節の音の中に、どんなに辛い事や不意打ちのアクシデントがあっても人は季節が巡るように時を掛けて前に向かって歩いて行くのだ、行けるのだと勇気付けられ温かい気持ちで鑑賞を終えた。

Filmarksさんへ
西川監督のteach-in付きの素晴らしい試写会を企画して下さってありがとうございました。参加させて頂けた事、とても感謝しています。
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