三樹夫

バービーの三樹夫のレビュー・感想・評価

バービー(2023年製作の映画)
3.8
冒頭『2001年宇宙の旅』のパロディがあり、女性は母親になることしか許されなかったのが、あなたは何でもなれるというようにこの映画は始まる。バービーランドには医者や大統領のバービーがおり、あなたは何にでもなれるという世界が広がっている。シンディー・ローパーのGirls Just Want To Have Funが流れるなど、ゴキゲンな音楽の似合うポップな世界だ。
しかし主人公のバービーはセルライトができ死を意識し、変なバービー(『スモール・ソルジャーズ』のバイオレンスバービー軍団や『ブレードランナー』のプリスを想起した)に相談したところ人間界へ行くことに。なぜかケンもついてきた。
人間界にやってきたバービーだったが卑猥な言葉を次々浴びせられる。これは女性が道を歩いているだけでナンパをされ浴びせられる言葉だ。人間界は男性が支配する社会だったのだ。仕事の話からは女が入ってくるなと邪魔者扱いにされ、男性性を誇示したマッチョなイメージで溢れる。男性社会の象徴としてスタローンの写真が使われているのは笑った。バービー人形のメーカーのマテル社の重役は男だけ。CEOは上っ面だけリベラルなこと言って実のところはそんなのには何の興味もない、典型的なI have black friendsマンなのは笑うしかない。しかしこの男性社会に来てケンが元気になる。男スゴイ本なんか読んじゃったりして、こういう人現実に結構いるのではなかろうか。アイデンティティが確立できず空っぽで、漠然となぜか満たされないという気持ちを抱え不安に陥り、スゴイ系コンテンツにはまり男スゴイ=男の俺スゴイになって、家父長制どっぷりになり女性への支配欲が増大する人。バービーランドが男性社会へと乗っ取られるのは、『光る風』のフェミニズム版といったようなディストピア的な現実的な恐怖がある。

この映画の結論としては、私は私、男性社会における都合のいい存在にならない、個人を個人として尊重といったところで普遍的なメッセージとなっている。私は私というのが冒頭の何でもなれるというのをひっくり返している。一番最後のシーンは、冒頭のシーンにかかるものであり、母性の否定をひっくり返し、私は私ということを強調するものだ。
作中何回も笑うシーンがあるが、ゴッドファーザー解説と女性にギター弾き語りは印象に残る。ピンポイントに、他人にゴッドファーザー解説をしたことはないが、思い当たる節が思いっきりあり引きつりながらも笑ってしまう。女性にギター弾き語りは前々よりこんなことされてもキモいだけだろと思っていたのだが、女性にギター弾き語りはナルシズムの自己満でしかないことがこの映画で決定した。もう結構前になるか『ロンドンハーツ』のドッキリで狩野英孝が秋山莉奈にオリジナルソングを披露し挙句に一人口笛アンコールまで行い、あまりの自己陶酔っぷりとナルシストっぷりに爆笑したのだが、女性にギター弾き語りも狩野英孝のオリジナルソング一人口笛アンコールと変わらん。傍から見たらナルシズムと自己満でしかなくて滑稽。

よくできた映画で、バービーの添え物でしかないケンは、男女性別を逆転されている。社会、映画、テレビなどで女性を添え物として扱っており、例を挙げれば、解説者の横にいてうなずくという役割でキャスティングされる女性アシスタントは今でも見るのではないだろうか。性別逆転して見せることで、今まで女性が添え物にされてきたおかしさを明確化させる手法である。ケンを見て不平等や女尊男卑と思ったそこのあなた、これは性別を逆転させて見せているんですが、じゃああなたは社会、映画、テレビなどで女性が添え物として扱われたときに違和感を感じましたか、不平等や男尊女卑と思いましたか、不平等と言いますが、現実社会は男性社会なんですが不平等だと指摘しましたか、といった具合だ。
マッチョ主義による男性が感じる息苦しさも描かれており、とにかく男らしさを競うことの意味のなさはケンの、馬とかなんとか言ってきたけどそんなもん何の意味もなかったわというセリフに表されている。

この映画は単純にポップで楽しい映画だ。笑ってしまうこところは多いし、劇場でも何回も笑いが漏れていた。鬱状態になったときの直立不動うつ伏せ(捨てられた人形)やマーゴット・ロビーの漫画みたいな泣き方も笑ってしまう。そういえばミア・ゴスも『パール』で漫画みたいな泣きじゃくり方してたが今年は漫画的泣き演技の当たり年なのか。
ポリコレなんだのいうけど、ダイバーシティ盛り盛りのワイスピやピーチが自立した女性の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を楽しめてるんだったら、ポリコレ映画いける口じゃないのと思う。
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