何だかよくわからなかった.
みなさまの解説読んで、よくわからない現代アート作品の解説を読んだような気分に.
どんなに着飾ってもグロテスクなものは気持ち悪いと感じるし、悪趣味だと思う.
なんとなく作品の端々にエゴがみえるというか、
一方通行だよなと感じた.
冒頭、ふくよかな女性たちがモチーフ?になった作品の描写から、
ダイバーシティの文脈を意識してるのだろうと思われた.
詰まる所、"weak"にも強い魅力があるんだ、ということを言いたい、ようにも思えるものの、
ジェイクギレンホールの、弾劾(?)の物語に魅せられるほどの魅力はないような気がする.
このエピソードに何か得られるものがあるかと言えば、自分にはあまり感じられなかった.
むしろずっと旦那の対応が甘いなぁーというのが気になった.
そもそもこんなアメリカの片田舎で真夜中運転するのがそもそもナンセンスで、そういう判断は弱さ故ではなく、不注意•無謀であるからなんでは?
もっと愛するものがあるなら慎重になるべきでは?という気もしてしまったけど、そういうもんじゃないのかな.
とにかく絵は綺麗なんだけど、冷静に考えると、ツッコミたくなるというかあんまり話に奥行きを感じない.
こういうバカなやつの悲哀にも魅力があるよね、って話なら、作りてはちょっと趣味が悪いというか意地悪だなと思う.
詰まるところ、そうしたものを取り扱うものの狭間にいる俺?!みたいな自意識溢れるなーという.
作品の主人公はスーザンなのだが、骨子はエドワードが担っており、トムフォードの目線はスーザンで、この表現手ではない.
そういうのはちゃんと自分が腹落ちしたときに作品にするべきなんでは.
私見ではあるが、ダイバーシティを、「美しさ」の文脈の中で語るのは少し無理があるような気もしている.
これまでこっちが魅力的と思って煮詰めてきたのに、違うベクトルに光を当てる時にまったく同じフォーマットで同じように見るのは違和感と乱暴さがある.
マーケティングの節操のなさというのか品の無さというのか.
そしてそれを分かっていながら無理やり煮詰めたらこうなっちゃった、、のではないかな〜という気がする.
そこに嘘というか虚飾を感じました.わたしは.