垂直落下式サミング

マダム・フローレンス! 夢見るふたりの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

3.2
音痴の歌姫として知られるソプラノ歌手フローレンス・フォスター・ジェンキンスと、愛する妻の夢を守るため音楽マスコミや観客を買収していた夫シンクレアを描いたドラマ。小規模なリサイタルで満足していたマダムだが、彼女は次はカーネギーホールで公演すると言い出す…。

メリル・ストリープ演じるフローレンスはキュートだし、歌で多くの人の心を掴みたいと言い出す妻を献身的に支える夫とピアニストのコズミの細やかなコメディ演技が上手くて、二人がマダムの言動に狼狽える場面は非常によかった。マダムはただ純粋に音楽が好きなだけに見えるし、夫やコズミはあたふたしながら彼女の悲劇的な過去を受け入れ、本当にマダムを愛しているみたい。とはいえ、マダムのどこに周囲の人間をそこまで惹き付ける魅力があるのか、なかなか見えてこなかったのも事実。
そもそもフローレンス・フォスター・ジェンキンスという人は、自身の歌唱能力も、自分が世間からどう視られているのかも、客観的評価をすべて知った上で公演ではスーパーヒロインを演じていた音楽史上最強のバケモノだったわけですよ。単にキュートで愛らしいから常に周りに人が居て、物珍しさに集まった聴衆をなんとなく感動させて、最後には夫婦愛に着地するというのは安易じゃないか?
彼女を支持したのは評論家・知識人とは違うもっと俗な層のはずだ。「旦那ァ、聞いとくれよ。歌手のフローレンスって知ってるだろ?いや下手だったねぇ。死んだ七面鳥だってあんな声出せねぇよ。ありゃカンナだよ。耳から入って人の命を削るもんだ」「おう、なんだそうなのか?お前も見たってなら、俺もひとつ話の種にそいつがどんなもんか見てやろうじゃあねえか」と、アメリカの下町ではこんな内容の世間話が有ったか無かったか…。品の悪い兵士たちだってそんなマダムの評判を聞いて劇場に足を運んだ粋な連中だったはずだ。キネ旬や秘宝で皮肉混じりにボロカス書かれてる映画って逆に興味湧きますでしょ?とかく、すべての芸術が高い完成度を有している必要は無いわけであって、優れたものだからといって、または褒められたものじゃないからといって、それが人の心を射つかどうかは別問題。彼女は人々から音痴をバカにされると同時に、その清々しいまでの裸の王様っぷりを愛されていたのだ。現在におけるラジー賞とかクソゲーオブザイヤーの走りでもある。

最後の公演を『キング・オブ・コメディ』みたいな悲劇的にも見える夢の成就で終わってくれれば爽快だったけど、その後の批判との戦いがどうのこうのは蛇足だと思う。世評を知ってふっ切れたマダムが「私と一緒に笑われて下さる?」と夫やコズミに晴れやかに言い放つような展開を想像していたので、ちょっと甘い映画だなと感じました。