【光の贄】
あまり知られていないロイ・フラーという表現者を、映画で発掘せんとする着眼点はよかった。
かなり興味深くみられたが、仕上がりとしては歪。史実もだいぶ加工しており、けっこう悪影響与えた気がする。
フランス映画ですが、パワフルで小気味よい演出展開は見易いし、ダンサーという題材の好影響か、心躍らせる箇所は幾つもありました。
主演ソーコは好・熱演でした。しかしロイ・フラーは生粋のアメリカ人。フランス人であるソーコを馴染ませる意図もあってか、ロイの出自を変えている。が、これで表現者としてのルーツがぼやけたと思う。後の、何故そうまで身体を酷使して舞うのか?の原点はそこにあると思うし。
また両親の設定変更から“不自由の国”アメリカより、フランスに渡った方がよほど自由じゃん、という見え方になっていて、まー、フランス映画だけどねえ…とひと息呆れた。
あとは、後半で重く絡んでくる筈の、イサドラ・ダンカンの扱いが軽薄で奇妙。こちらは配役も不釣り合い。
ジョニデとヴァネパラの娘、リリー=ローズ・デップは顔面付近からそれなりのオーラ出してますが、舞台装置で幻想を演出したロイに対し、自分の身ひとつで世界を席巻することになるイサドラなのだから、有無を言わせぬ身体の存在感は必須の筈。
リリーはまだギャルっぽい。小娘が背伸びしているみたいで、ロイとの対比になっていない。ここかなり残念。
ロイ・フラーのダンサー歴からすれば、パリ万博で自分のブースを出し評判となったことは山場だし、フランスに招いた貞奴のプロデュースを成功させたことも大きい。これらを貞奴チョイ見せだけで終わらせてしまったのは勿体ないが、やはり予算の問題でしょうか。
等、不満も色々あるのですが、あの特許まで取る独自のダンスを開発する苦労から、フォリー・ベルジェールで大当たりするまでの過程は興味深いし、「素晴しいのはダンスで私じゃない」と吐露させる小騒動、そこから、その葛藤を受けてのラスト…観客が見ていたのはダンスなのかダンサーなのか?に対する心動かされる回答…との背骨となるストーリーはよかったので、満足度は低くはありませんでした。
…でもやっぱり、終わってからも、何故そうまでして舞う?という疑問が後をひいてしまうのですけどね。
<2017.6.27記>