シチリア祭り(20)
イタリア版DVDで鑑賞。ピエトロ・ジェルミの3本目の監督作品で、脚本にはフェデリコ・フェリーニとトゥッリオ・ピネッリ、さらにはマリオ・モニチェッリなどが参加。原作は、元シチリアの地方判事ジュゼッペ・グイード・ロ・スキャーヴォが自らの経験を記した手記『小さな裁判所 Piccola pretura』 (1948)。この判事が赴任したのはバッラフランカ(エンナ県、シチリア)だが、撮影はアグリジェント近郊のシャッカ。このシャッカは同じジェルミの『誘惑されて捨てられて』(1964)の舞台でもある。
戦後のマフィア映画の出発点でもあるが、描かれているマフィアは「古いマフィア」であり、たしかに国家の法の外にはいるけれど、昔ながらの独自の法を持った古き良きマフィアとして描かれている。これは、原作者のロ・スキャーヴォ自身が、マフィアと戦ったと言われる一方で、マフィアと結託していたと語られているのが反映されているのかもしれないし、あるいは、ジェルミが大いに参考にしたというアメリカの西部劇の影響かもしれない。
いずれにせよ、イタリア映画にはシチリアへの熱い眼差しがあったころだ。ヴィスコンティはすでに1940年ごろからヴェルガのシチリアを映画にしようとしていたし、それを戦後すぐに『揺れる大地』(1948)で示して見せた。ルイージ・ザンパはヴィターリ・ブランカーティと協力して『Anni difficili』(1948)などの作品を発表していた時期であり、ジェルミもまた、一度もシチリアに足を運んだことがないままに、シチリアを舞台にした映画を撮ろうとしていたのであり、実際にシチリアで撮影に臨んで、ジェルミなりの「シチリア」を発見したといえるのかもしれない。
原題は「 In nome della legge 」(法の名において)であり、これは主人公のスキアーヴィ判事(ジロッティ)がラストシーンで言うセリフ。このシーンは映画的なスペクタクルとしては見事。しかし、マフィアが無法者の英雄のように描かれているところには批判がある。
ジェルミはじつのところイデオロギー的というよりは、純粋に娯楽映画の監督だと考えた方が良いのかもしれない。けれども、娯楽に徹するからこそ、時代を経て浮かび上がってくる何かがある。その「何か」をどう記述するか、それが問われているということなのだろう。