こういう世紀末的な荒廃から生まれたやたらと淡白なヌルッとした世界観というか、貧富•格差のある近未来っぽい世界で搾取する側とされる側が2極化してる中、強い意志と生命力と自由の象徴的な若者が犠牲的生贄化される構造で秩序を保ち、出る杭が打たれるシステムがあるけどそれに屈しないよ的な映画。
ここ最近やたらと多い気がするが、その足がかりになってるような作品。
日本で言う『バトルロワイヤル』。同カテゴリーで言うと他に『ダイバージェント』?『メイズ・ランナー』?などなど。
いつも思うけど、なんでこう言う映画には意味わからん顔の白いアバンギャルドなファッションのキーキー言うオバサンキャラがいるのか。
それと、搾取する側のいわゆる“裕福な世界”の方の街並みと人と仕組み。まったく「そっち側に行きたい」と思えないのはなぜか?
あえて富裕層を揶揄してるのか、自由や理想はそう言うことではない馬鹿だな富裕層と皮肉として描いてるのか、観てる自分がただ富裕層の考えと営みを理解できない庶民側だからなのか。とにかく「ほんと、そっち側つまらんね」って思えることに何か意図がありそうだと思えてならない。
そんなこんなで狂気の中のぶっ飛んだ設定と世界観•物語によって逆に“普遍的な心理”みたいなものが浮き彫りになってる気がする。
それに設定はぶっ飛んではいるが、淡々と始まり、いかに庶民が搾取されてるか、為す術がないかというリアル感があり、残酷なゲームをエンタメ化してる世界の裏側の本人達の悲壮な現実にも焦点を当ててるところを長めに時間取っていて派手な部分が実は少ないけど、ただただ人がバタバタ死んで大変な世界での出来事だね、で終わらせてない。だからSF派手派手ドンパチ好きではないドラマ派の人でも楽しめる、はず。
と、もっともらしいことを言いつつ、すべてはジェニファーローレンスがその芯の強さと儚げな美しさを併せ持ち、頼りないようでジャンヌダルクのような求心力がある主人公カットニスとしての遺憾無い存在感。もうずっと釘付け。可愛い。きれい。美しい。そりゃピーターも惚れるわ。しゃーない。
相棒ピーターも生き抜くためだったり、カットニスのことを想う場面があって少しずつ応援したくなってくるし、12地区2名ずつ計24名の死のサバイバルで24名が全員描き切られてないのが少し残念ではあるが、定番キャラや少し気になるキャラ、そこそこ彼ら彼女らの関連性を描いたり、描かなかったり、でそれはそれで最後まで誰が何を誰とどうするのか、が見えにくくていいんじゃないかな、と。
にしても、何、事前にみんなで武器の練習してんねん!と。ってのと、スポンサーシステムは理解したし、それはそれで面白い設定なのに、事前の点数がどうなってるとか、差し入れ•••ってそんな感じなの?最後のその犬みたいなやつ、いる?みたいなツッコミたいとこもあるこの作品、色んな意味で奥が深いのかもしれない。