ノル

リメンバー・ミーのノルのネタバレレビュー・内容・結末

リメンバー・ミー(2017年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

舞台はメキシコ。

大々的なお祭りのような雰囲気を醸し出す「死者の日」に少年の身に起きた不思議な出来事をストーリーとしている本作。馴染みのない文化をテーマにしているにもかかわらず、日本人から評価されているのは、その「死者の日」の風習が、日本の「お盆」と大変近しいことに起因すると考えられる。「死者の日」は「お盆」と同じように、亡くなった人々の魂がこの世に戻ってくる日なのである。

オフレンダと呼ばれる祭壇に、亡くなった家族の写真や、故人が好きだったもの、ろうそく、オレンジ色が美しいマリーゴールドなどの生花、パぺル・ピカドと呼ばれる神を切って作った旗などを飾りつける。日本でいうお仏壇と同じような感じだろうか。お墓にも飾り付けが行われる。祭壇と同じようにマリーゴールドで墓の周りを多い、カラフルな花を使って彩る。作品内ではこの死者の日の様子がかなり詳細に描写されていた。恐らく現地に飛んで相当な下調べをしたのではないかと思う。死者の国のネオンのようなカラーと、現世の雰囲気が重なるとき、確かにあの世とこの世をつなぐ道が開かれるような不思議な感じがした。

マリーゴールドはこのイベントに欠かすことのできない花で、死者が迷うことなく戻ってくる道しるべになる花びららしい。本編でも、マリーゴールドの花びらで出来た橋を渡って、死者たちは現世にやってくる。また、祭壇に飾られている生前の写真も大きなポイントになっており、写真が飾られていない死者は現世に帰ることができないのだ。主人公ミゲルとヘクターは死者の国で出会ってから、ミゲルは高祖父であるデラクルスに音楽を続ける許しを得るために、ヘクターはミゲルの願いを叶えて祭壇に写真を飾ってもらえるように、一緒に行動するのである。

本作では死者の国の魂が生者から忘れられることでまた死を迎えてしまう、「二度目の死」の恐怖が描かれる。誰が言った言葉だかは分かっていないらしいが、「人は二度死ぬ。一度目は肉体。二度目は忘れ去られたことによる死だ。」というような言葉がある。リメンバー・ミーの世界では、"自分のことを思い出してくれる人がいなくなってしまったとき"に死者の国での骸骨の身体も消滅してしまう。まさにこの言葉通り、忘却によって二度目の死を迎えるのである。ヘクターの体は時折消えかけており、消えてしまう前に一度我が子の顔を見たいと願いがあった。

デラクルスでなくヘクターがミゲルの高祖父だった、というのは正直予想がついてしまったところはあるが、物語終盤、ヘクターが消滅を防ぐために一家総出でデラクルスに立ち向かっていくシーンには熱いものを感じた。ミゲルの歌がママ・イメルダの心を動かし、ママ・イメルダの歌が家族を動かす。この一家にとって「歌」というものはどんなに切ろうとしても切れない関係だったのだと感じた。

ラストで生前の死因と同じように鐘につぶされたデラクルス。しかし、デラクルスはこの世界での死は迎えないのだと思う。この世界での「死」は忘却によるもので、体がバラバラになったとしても死ぬことはないからだ。現世でもデラクルスがヘクターの曲を盗作して発表していたことが分かった今、デラクルスは今までの名誉から一転、悪名が世界に轟くことになる。死者の国でも迫害され、どんなに惨めな生活を送っても決して消滅できない、まさに生き地獄のような生活を送るのだろう。悪人がしっかりと罰せられるのはやはりディズニー映画らしいが、今後のデラクルスを思うと少し気の毒になってしまうところはある。

ミゲルが現世に戻ってから、ココがリメンバー・ミーを聞いて父を思い出すシーンから涙が止まらず、皆が歌い楽しく過ごす家族のもとに先祖が帰ってきているラストシーンまで、ずっと感動して泣いてしまった。私も祖母や祖父が既に亡くなっているので、このように現世に帰ってきて側で見守ってくれているのかと思うと、やはり感慨深くなってしまうものがある。

今までヘクターが消えなかったのは、ココが物忘れが激しくなったとしても、心の奥底で決して父のことを忘れず、思い続けてきたからなのだろう。では、ココが死んだ後に、ヘクターはなぜ死を迎えなかったのか。生前の思い出を覚えている人がいなくなるので消えてしまうのではないか、と思ったが、ここで家族とのつながりがキーになってくる。亡くなった人の思い出をいつまでも大切に、後世に語り継ぐ。それが死者の日の目的の1つであると感じた。実際、ミゲルも、何世代も前の先祖の名前をしっかりと覚えていることが描写されている。残された人から、死者が確かに生きていたというエピソードを語り継いでいくことで、魂はいつまでも死者の国で幸せに暮らせるのだろうし、残されたものもそれを望むのである。ミゲルたちはココからヘクターの「歌」という思い出を継いだ。この歌を、子孫たちが歌い語り継ぐことで、先祖たちはいつまでも死者の国で幸せに暮らすことができるのだろう。やはりある程度は語り継ぐのにも限界があると思うので、いずれは二度目の死を迎えてしまうかもしれない。しかし、それまでに悔いのないように第二の人生を楽しみ、子孫を見守りつつ楽しく過ごすのだろう。

また、実はこの物語、家族の大切さを描くだけでなく、その確執も描いているように感じた。かつて音楽で不幸になってしまったことから、愛するあまりとはいえ、ミゲルの夢を断固として聞き入れない家族たち。しかし、家族より音楽を取ったと思われていたヘクターの真実も判明し、一家には再び音楽が戻ってくる。音楽の素晴らしさを、熱意を認めてもらえるラストには感動。家族だからといって何でも理解してもらえるわけではない。しかし、個々の情熱を決してつぶしてはならない。そのような教訓を感じる一面もあった。


大切な誰かを亡くしたとき、人はどうしても悲しみに暮れ、その出来事から立ち直ろうとする。その中で辛いことを意識的に忘れようとしてしまうこともあるだろう。しかし、死は誰にでも訪れることである。死んだとしてもあのように楽しく暮らしていると考えると、先に行ってしまったものも、残されたものもなんだか心が軽くなるようではないか。素敵な死生観を描いた作品であった。これから先大切な人を亡くして立ち直れない、死が恐ろしくてたまらない、そんなときにこの物語を思い出して、見直してみたい。

現代は「Coco」なんだとか。そちらも素敵で甲乙つけがたいタイトルである。
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