のわ

ガタカののわのネタバレレビュー・内容・結末

ガタカ(1997年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

私信:青乃雲様へ


かつて、そして今も愛している。青乃雲さんがお書きになった「ガタカ」のレビューを少し思い出して、僕なりのこの映画の感想を少しお伝えさせてください。

不完全な僕だからこそ、あなたのもつ美しさの一片にそっと触れられた。僕が受け取った美しさは青乃雲さんが求めていたものとは違うかもしれない。しかし、美しいのにかわりない。ですから、御門違いなことを言っていると思われても当然ですし、僕もわかっているつもりです。それでも、師としてあなたを敬慕している若者から伝えさせてください。


あなたがアイリーンとヴィンセントのコンサートシーンを美しいと思われたように、僕もまた、ジェロームの最後の自殺が強く僕を引き付ける。青乃雲さんが女性性と男性性に惹かれる宿命ならば、僕は人が死のうとする心理に惹き付けられる。かつての僕がそうであったように、青乃雲さんも女性性や男性性に惹き付けられるなら、おそらく深く心に刻まれた体験がある。僕たちはそうした心の原理を解き明かそうとしているのかもしれない。

青乃雲さんのレビューから僕がささやかに感じ取っていたのは、文意が自身に向いているにも関わらず、必ずしもベクトルの向いている方向が自分だけとは限らない。自身の心を解き明かそうとしながら、他者の心に触れようとしている。出会ってきた人々や、かつての女性、奥様や息子さん、かつての青乃雲さんかもしれません。もし、人間の心が2つの要素でできているのだとしたら、1つは自分の経験から現れる人生観、もう1つが生きてきた人との関わりのなかで触れあったり、差し出したり、時に破壊しながら他者の心と自分の心をひとつに統合したもの。そんな風に考えると、青乃雲さんが解き明かそうとしているのは後者のように思えてならないんです。そして、言うまでもなく僕が見つめているのは前者になります。お互いに帰結するところは自身の心ですが、その過程があまりに違う。ですから、「グリーンブック」僕にレビューをお願いしてくれたんじゃないでしょうか。

心理学では「悲しいから泣く」キャノン・バードの中枢起源説、「泣くから悲しい」ジェームズ=ランゲの末梢起源説があります。(その他にも2要因説がありますが、ここでは触れません)

青乃雲さんが「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」を見て涙をながし、自身の抱えている傷に気づくことになったように、僕もまた「ガタカ」のジェロームの感情が痛いほどわかり、涙をながす。もちろん、全ての映画がこのような感情を呼び起こし、同じ情動経験をもたらすことはないですが、僕らが目指しているものは、こういうことなんだと思います。聡明な青乃雲さんなら、こんなことは分かっていらっしゃるかもしれませんが、僕はこのようなことを青乃雲さんを通して理解するに至りました。

この「ガタカ」でも、ヴィンセントは不条理な世界で懸命に生き、本来叶うはずのない宇宙に飛び立つ、ジェロームから預かったのは名前や体液だけでなく、僕たちの目に見えない願いまでも背負って、彼は2人の人生を生きることになる。そして、ヴィンセントは夢に飛び立ち、ジェロームは思い出のなかで死ぬ。やはり、僕はジェロームが愛おしくて堪らない。ですが、そんな思いを拒絶するかのごとく青乃雲さんのレビューが、僕の頭のなかで反芻するんです。「個性とは、他者より優れた特質を言うのではなく、むしろ他者より劣っている点を避けたり補ったりする中から生まれてくる(青乃雲様のレビューから)」。この言葉は6本指のピアニストだけではなく、「ガタカ」の全員に当てはまる。そして、最も体現しているのはヴィンセントに他ならない。この映画の予告を見ても僕はジェロームが僕の代弁者であると思っていましたが、ヴィンセントが青乃雲さんだったのなら、彼に惹かれるアイリーンは間違いなく、僕の代弁者でしかない。そして、「ブラックスワン」でコメントさせていただいた「女性性は僕にはわかりません」と言うもの。これは思い上がりかもしれませんが、そんなことを考えると僕の心に宿る女性性の息づかいが微かに聞こえます。それは、決して恋慕だけでなく、細かく見ていくと畏怖さえある。この作品がやがて日常にオーバーラップしてくることになり、あらゆる選択の場面でヴィンセントの行動が僕の心を突き動かすことになる。この作品の美しさを躊躇うことなく、言葉にしていた青乃雲さんのレビューに僕は引き込まれていく。そして、美しさのなかに「表現する怖さ」を感じ取りながらもやはり、どうしようもないぐらい読み込んでしまう。その畏怖は僕の脆弱性でもあるが、感情的にはアイリーンがヴィンセントに惹かれた原理と同じく、僕もまた青乃雲さんに惹かれていたと気づくことになった。今僕がこの映画の美しさをささやかに記しても、なぜか言葉に縛り上げられているような窮屈な思いがする。「この映画の美しさはそんなものではない」と胸を叩かれているような気がします。今の僕にはこの程度の言語化しかできないのでご容赦ください。

青乃雲さんはおそらく、良くご存じの感じかと思いますが、僕にとってはあまり感じたことのないものが心を渦巻いています。



もし、このレビューを青乃雲さんが読んでくれているのなら、僕はそれだけで幸せです。

僕は青乃雲さんが幸せになって欲しいと願う人がいるなら僕もまた同時に祈ります。青乃雲さんの奥様にも僕は感謝しています。レビューを読んでくださり、心からお礼申し上げます。僕なんかには勿体無い言葉をいただきました。どうかお元気で、

そして、お節介かもしれませんが、息子さんがもし、就職活動なさるなら3年生のうちに夏と冬だけでもインターンシップに行くことを強くおすすめします。今は早期選考の流れがあるので、4年生になったら有利に動けます。どうか、頑張ってください。そして、青乃雲さん、僕がどれだけ言葉を並べてもおそらく僕の感謝は届きません。それぐらい大きく本当に大きく感謝しています。映画の見方や構造、言葉の選び方、レビューのスタイル、そして個人的な話までありがとうございます。いつか約束した、僕が50歳になったら心の原理をどう思うかについては直接お話させてください。その時に頭を下げてお礼を言います。そして青乃雲さんのお話を聞かせてください。1000年続く安らぎを、1000年続く熱情を、1000年続く自負心を、永遠に続く幸福を祈っています。
のわ

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