フジタジュンコ

ラーンジャナーのフジタジュンコのネタバレレビュー・内容・結末

ラーンジャナー(2013年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

A.R.ラフマーンによる劇伴と、インドならではの町並み、色鮮やかなお祭りや結婚式などのイベントの情景が素晴らしく、ドラマチックに進行するので映像としては非常に楽しめる反面、登場人物の誰にも共感できないのでずっと感情が置いてけぼりで、ふたつの認知をどう扱っていいかわからないままエンドロールまで見ていた。

北インドのパンジャーブに伝わる物語「ヒールとラーンジャー」を下敷きにしている物語とのことだが、悲恋というよりも「信仰と死」がテーマだと思って見ていた。
ダヌーシュ演ずるクンダンの「愛」はゾーヤーという生身の女に向けたものではなくゾーヤーによって体現するであろう「イデアのような何か」に向かっている。神は信仰を試すためにさまざまな試練を与え、信徒はただひたむきな奉仕によってそれを乗り越えようとする。

クンダンはゾーヤーのためにひたすらに骨身を削るが、これはクンダンの内側にしか向かっていない。それにはっとしたのは、

“愛は俺の才能だ
君のものではない”

と、クンダンがゾーヤーに呪詛をぶつけたシーンだった。ゾーヤーはこの愛を受け止められないのだ。だってゾーヤーは生身の、ただの、かよわい女だからだ。

クンダンはゾーヤーを現世的な意味では愛してはいない。だから彼は警告を受けながらも殺害されに行く。最終的に人間が神に捧げられるのはその身(生命)そのものしかない。クンダンの「愛」は、生身の人間(ゾーヤー)に扱えるものではないからこそこの結末なのだと理解しながらも、なんともいえない、怒りのような感情を抱えるしかなかった。

インド映画のDVDはミュージックシーンのみのコンテンツが収録されていることが多いので、本編を見たあとはミュージックシーンを何度も見返して楽しむのが私のルーティンなのだけど(ラジニ作品なんかは60回は見る)、本作は終わったあとすみやかにDVDを取り出しました。私のインド映画力はこの作品を受け入れるにはまだまだ足りなかったようです。3年後くらいに見たら、また印象が変わるかもしれない。ただ、気持ちがしんどいので二度は見たくないな…というのが今の正直な感想。

なお、ダヌーシュの嘔吐シーンがありますので嘔吐恐怖症の方は注意です。