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ヨーヨーのtkykのネタバレレビュー・内容・結末

ヨーヨー(1965年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

エンターテインメントの変遷を物語の横軸にし、ヨーヨーの変化を縦軸にした作品であるが、作品の構成自体もサイレント映画から現在のような映画の形式へと変化しており、メタ的な視線を含んだ作品だった。その特殊さだけでなく、ヨーヨーの変化を描くドラマとしても特筆すべき作品だった。

前半はトーキー映画のように台詞は全く無く、ドアが開く音やコップにスプーンが当たる音といった生活音だけが大袈裟な程に鳴り響く。特にドアが開く音は「いくらなんでも大袈裟だろ!」と思うほど何回も大袈裟に響く。それでも画面からは家主の家柄や彼の心情が推し量られる。
中盤以降は発声映画となり、成長したヨーヨーの話へと変化する。時代と共にエンタメの形式が変化すると同時にヨーヨーの立場も変化する事がテンポよく示される。
中盤以降は上記の様にヨーヨーの立場やエンタメの変化、作品自体の作りの変化が表れるがそれでも作品内で通底するものとしてヨーヨーの父への思いがある。

幼少期に偶然見た豪邸とその写真にヨーヨーは父親が秘めている感情を推し量る。ヨーヨーがエンターテイナーとして成功を収めることは、かつて父が住んでいた豪邸ひいては父のためである事が繰り返し示される。
しかし結果としてはヨーヨーの思いは独りよがりなものであり、父が本当に望んでいたものが別にある事を知る。その段に至ってリアリティラインから少し飛躍した場面になるが、その場面こそヨーヨーと父の原体験であり、彼らにとっていかに尊いものであるかが映像だけで十分に表れていた。

終盤の小ネタの連発などエテックスらしいコメディ要素があるもののどこかもの寂しさを漂わせる終盤は印象的であり、人間ドラマとしての完成度も非常に高い傑作だった。
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