垂直落下式サミング

ボクの妻と結婚してください。の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

1.0
非常に不愉快な作品だった。やべえな。
この創作が表明しているのは、かなり危険な思想に類する価値観だと思うんだけど。これは倫理的にいいの?これダメだろ、邪悪だぞ!このストーリーを、パートナーへの思いやりだとか、プラトニックさの先にある夫婦の美談だと思っているのなら、他人への共感能力が著しく欠如している可能性がある。
まあ、最後まで感動一辺倒で話が進行して行くのは予想していたし仕方ないとしても、自分のすべてを許し、受け入れ、奉仕し、何一つ疑わず意思を汲んで、惜しみなく愛情をそそいでくれる他者こそが最良の理解者だとする結末に行き着くのは、あまりにも幼稚で愚劣で浅はかではないか。
物語のベースにあるのは、黒澤明の『生きる』と同じものだろうが、志村喬が「住民のために」公園を作ろうとした熱意と、この映画で織田裕二が「妻のために」再婚相手を見つけてあげようとするのは、まったくもって異質な動機だ。
『生きる』における志村喬の熱意の中身は、自分が消えてしまう前に何か意味のあることを残そうともがく身勝手さは確かにあるのだけど、住民たちの信頼と期待に報いようとする使命感であるとか、命に先がないことを誰にも打ち明けられない孤独の捌け口であるとか、そんな複合的な要素が狂気となって彼の意思が揺るぎないものに変わっていったという描写がある。
一方、本作の織田裕二の行動理由は、徹頭徹尾「自己愛の成就」が目的であって、実は妻や息子のことなど考えていないどころか、結果的に残された彼女たちの人生の決定権を奪おうとしている。何の躊躇もなくこういう行動を起こせる人のことを反社会性パーソナリティー障害と呼ぶと思うのだけど、どうなのだろう。
俺はどんなことも「楽しい」に変えてきた云々と語る織田裕二の心情吐露と、計画が着々と遂行されて思いが成就していく恐ろしさが、本作の倫理観のヤバさを物語っている。
あのさ、世の中には、お前とは違う価値基準があって、お前が属していないコミュニティがあって、お前の関与してこなかった領域があって、お前以外の人の人生というものがあるワケだわな。自分の「楽しい」は、他人も絶対に「楽しい」だなんて思うなよシャバゾウが!死ぬからって、なんで周囲がコイツを甘やかして特別扱いしなきゃいけないワケ?意味わかんないんだけど。
ひさしぶりに、上から下まで徹底的に嫌いな映画に出会った。いいところがないぶんには構わないけど、加えてテーマが不快なのは勘弁してほしい。