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『The Rapture(原題)』に投稿された感想・評価

No.873[文字通り娘を天国に送るなよ] 40点

"1001の映画"には絶対に死ぬまでに観なくてもいいのに入手困難な作品が多々あり、本作品もその一つである。電話交換手の女性が人生を空虚に思った時にキリスト教に出会って人生ハッピー!終末も近いし神様信じようぜ!となるも、色々あって神を信じられなくなる、という話。啓示を受けて砂漠で神に会おうとしたけど失敗し、狂信的になった娘を"そんなに会いてぇなら一緒に天国行こうぜ"と殺しちゃうが、自分は"自分で自分殺しちゃったら天国行けねぇわ"と気付いて自殺を止めてウジウジしているという展開は本当に馬鹿げている。娘を殺す前に気付け。そして、遂には"砂漠に来いって言ったのに来なかったし、娘殺させたし、ふざけんなよ"とブチギレる始末。おいおい、お前が悪んだろ、神に責任転嫁すんなや。

確かに、例えばベルイマンの作品ではキリスト教が前提でありその夢が破れる様子を多く描いていたが、本作品ではキリスト教が当たり前ではなくなっている。それによって彼女がキリスト教を信じる過程を描くことで、現代的な視点を獲得しているのかもしれない。しかし、目覚めるまでの過程とか正直どうでもいいし、そこが冗長なのに映画的になんの意味もなしていない。宗教勧誘かと思ったくらい。

にしても、神を信じなくなったらご本人登場という皮肉は強烈だった。結局、死後のことなんか考えずに人生を楽しむのが一番いいんじゃないすか。
「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載作品。キリスト教終末論の"携挙(ラプチャー)"を題材にした哲学的カルト作。「ザ・プレイヤー」(1992)「ディープ・インパクト」(1998)の脚本家マイケル・トルキンが初監督。

ロスで電話交換手として働くシャロン(ミミ・ロジャース)は、夜な夜な見知らぬ男たちと乱交する享楽的な日々を送っていた。それがある日、クリスチャンの伝導活動に触れたことをきっかけに、自分が空しくなり一気に信仰へと傾倒する。6年後、シャロンは結婚して娘も授かり幸せに暮らしていた。ところが、突然の不幸が家族を襲う。悲しみの中、信仰にすがりついた彼女は「間近に“携挙”が迫った証」と少年預言者から告げられる。神の声を待つために指定された砂漠へ娘を連れて旅立つシャロンだったが。。。

凄く面白かった。ニーチェ的な実存哲学を寓話として映画化した例は1990年代以降では稀だと思う。アメリカ製作だがヨーロッパのアート系映画に近く、参照すべきはブニュエル監督とベルイマン監督だろう。

キリスト教の教義を文字通りに実行し、その結果として最も非道な行為に至る不条理な展開は、まさにブニュエル監督の冷徹な宗教風刺を思わせる。一方、“神の沈黙”に悶え最終的に“神”と対峙するプロットはベルイマン監督の沈黙三部作を継ぐものと言える。

シャロンの主観が日常風景から、「白い馬」「ラッパ」「四騎士」などのヨハネ黙示録の再現へと接続される超越的様式は、ドライヤー監督からベルイマン監督、ブニュエル監督へと連なる神学論的映画に共通するもの。

ただし彼らの過去作品群と本作が決定的に違うのは、神に対してきっぱりと「NO」を宣言すること。この妥協なき姿勢はまさしくニーチェの哲学を体現している。即ち、アメリカ社会において現在も最大勢力であるキリスト教福音派の明確な否定であり、賛否両論が起こったのは必然だった。

本作が公開されたのは1991年。同年に湾岸戦争が始まりブッシュ大統領は「新世界秩序という大いなる理想を築くための機会」と強調した。この流れに福音派は「世紀末に向けていよいよ黙示録の扉が開いた、携挙の日が迫っている」と主張、アメリカ社会に終末論と陰謀論が蔓延し始めていた。

その空気に真っ向からカウンターを放った本作は大衆から殆ど無視された。後に再評価され「死ぬまでに観たい映画1001本」への掲載に至った。個人的に、本作のような反ポピュリズムの姿勢を貫いた秀作が大好物だ。今回は“携挙”に関する映画を集中的に観ていて本作に巡り合いとてもラッキーだった。

※既に一定の評価の定まったクラシック映画も良いのだが、それを我が物顔で誉めそやす姿勢は権威主義にほかならない。いわばポピュリズムの極右であり、その心性は“愚かな愛国者”と同じである。
3.0
【スピリチュアルにハマってしまう人の心理】
「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載の中には、日本で全く知られていない謎映画が掲載されている。『The Rapture(1991)』はその中の一本。監督は『ザ・プレイヤー』、『ディープ・インパクト』の脚本で知られるマイケル・トルキン。本書によれば、宗教を正面から取り組む映画が少ないアメリカ映画史の中でもさらに珍しいキリストの神性を問うところが掲載に値するようだ。実際に観てみると、興味深い映画であった。

薄ら暗いオフィス。女性オペレーターは単調な口調でディスプレイと向き合い、カタカタPCを操作しながら電話対応する。そのディストピア空間をじっくり長回しで捉えながらシャロン(ミミ・ロジャース)に眼差しが向けられる。丁度仕事終わりらしく、彼女は別のオペレーターと交代する。彼女は、仕事終わりに乱行に励むが彼女の生活は空虚である。仕事をし、休憩所でタバコをふかし、セックスに励む。そんなルーティンに単調さを感じていた。そんな中、ある日謎の訪問者が現れる。「これをあげましょう」と小さな本をもらう。宗教勧誘だった。彼女はこの刺激な事件に惹かれるように宗教にのめり込む。やがて結婚し、娘を授かる。怪しげな宗教儀式に参加しつつも彼女の心は平穏であった。生き甲斐を感じていた。しかし、夫が凄惨な事件に巻き込まれてから、神の存在が信じられなくなっていく。

日本では、宗教に関して若干冷笑の風潮がある。特に新興宗教に関してはその傾向が強い。私の善意の押し売りだったり、人間焼畑農業のイメージが強く、自分のところにやってきたら拒否感を示す。しかしながら、本作を観ると宗教の本質をよく捉えている。宗教は、ある種のコミュニティである。動物が群れて活動するように、宗教はヒトとヒトとを結び付けて同じ方向に活動する役割がある。孤独な者にとっては救いになったりするのだ。本作では孤独で、社会との接点が薄く、乱行パーティしても人間的繋がりが希薄であるおんなシャロンが宗教を通じて繋がりを見つけ、生を感じる物語となっている。一方で、自己の中で宗教が肥大化すると、そこから外れた事象に対処できなくなっていく。自分が信じていたものの梯子が外され、再び不安定な状態に陥ると自己が崩壊していくのだ。恐らく、宗教をしつこく他者にすすめてくる行為は、自分が不安定にならないようにするための自衛による行為なんだろう。

抑制されたトーンで展開し、終盤以降で突然スピリチュアルな展開に発展するところには少々乱暴なところを感じるのですが、信じている宗教がない私にとって発見ある作品であった。もしリメイクするならブリュノ・デュモンであろう。