ニューランド

吸血鬼のニューランドのレビュー・感想・評価

吸血鬼(1956年製作の映画)
3.4
✔️🔸『吸血鬼』’56(3.4)及び🔸『ムービー·オージー』(4.2)▶️▶️

(後の偉大な、が未だ)新しい才能がはっきり認知される前の、胎動段階、でも可能性無限を感じさせる作品も、今回の伊復元映画祭出張上映の中には、興味深くある。伊映画史上の五大作家の1人と言っていいバーヴァの、実質処女作の方は日本でも16ミリ版で比較的よくやってるが、ダンテの方はなかなか目にできぬ宝物のような作だ。若い時に作った、権利をクリアしてない、他人作のコラージュ作なので、興行は不可能な訳だ。
『吸血鬼』は、元々人気のある作品なのか、アテネフランセで観たのは、16ミリ版だったか(トリミング、ノースーバー版だった気もする)。今回は修復したにしては、粗めのポジからデュープしたような所も多く、滑らかとは言えない。しかし、DCPで観ると、フレーダの功績か、セット·美術の余計なまでの風格·造り込み·手応えの重厚さが素晴らしく、その重ったるさを、映画の効率的纏め上げの快腕を持つ、バーヴァが救ってる感。寄り入れ·アップもや切返し·角度ズラさ深め図、退きのトゥショット固定空間、俯瞰めや仰角の威容、内外の階上への移動フォローの重み、強く寄るのや二室を跨いでのどんでん·切返しのアクションの吸引力、何より旧廷·実験室·新聞社·通り限らず·過剰に多く太く重く謂れあるような装具や造りの詰めの格、ワンカットでDIS等無くみるみる老化の特殊メイクの凄み、代を越えての執着生む人間の配置·設定ら、中身以上に伝わる。冒頭は天井から垂れれ多線状物や·手の動きやカット尻のカメラの跳ね、等上下動感から、後の作で使う礼拝堂と舘·更に実験室らの隠された繋がでの縦·横移動感へ移る。早まる主人公に対し、礼状無くしくじり出来ぬ·何か起こるを待つ警部の腰の落ち着け方が味わいある。
パリでの若い娘の連続血液抜き殺人事件。新聞記者は聴き込みからマークの男を一旦追い詰める。彼に気のある、老侯爵夫人の姪っ子は、実は老夫人が2代の新聞記者とその亡き父を恋慕しての、変装で、高名科学者を匿い、若い娘からの永久生命力の抽出を計っての成果(が効く期間が短くなってきてて、焦り)で、拐いは同じ力で甦らせた浮浪者を使っていた。知合いの女高生が拐われ、記者の友人か深入りして殺され、記者と警部·少女の父らは、逆に包囲網強めてくが、トリックと現実に驚く。
トリックは子供騙しでもあり、傑作とは言えぬが、映画的見処·見応えは充分、以上。スマートに絡まりよく、かつ、より深め拡げての、バーヴァ世界が始まってく。
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ダンテは偶然『ハウリング』を観たときからの(大)ファンだ。以来これ程、まろやかに夢の世界を、完璧以上に作り上げた映画作家はいない。オタク向け作家と観られがちだが、真の映画作家の気品とセンス表現力を持った、狂気すらまろやか魅惑そのものに感じられる、稀なる筆捌きの高潔騎士だ。一見対極だが、自然なルース任せの隙がなく、選ばれ抜かれたカットだけの、ブレッソンに匹敵する。
’50~’60年代米の、TVや銀幕の映像をザッピング要領で並べ切り替えてく、サブカルと云うより切り捨てたいも纏わりつく、薄汚れノリと絡むだけの生活感覚·お気楽もどこか重さ抱える世代気質を当て、同世代も·限り付けない不特定皆に拡げてく、センセーショナリズムとは無縁な『~オージー』。作品とも言えぬ、大雑把なイベント·ハプニング的、思いつき勢いやり通したような、引用だけの外観を越えた、陶器こね繰り壮大仕上げ感を受けるが、直接的には『マチネー』に近いが、それを超えてこの作家の、あらゆる後の可能性を秘めたものになってる。彼のトリッキーさ、まろやかさ、円環性、滑らかさと破壊性の同居、引用センス、シニカル、ユーモア、屈折、他人作から、全ての自作の孤高で近しい宇宙としか云えない世界の特色の、構成要素が、感じられくる。引用の長さの自由気儘(瞬間だけで消えてく番組も多)、編中のコマ落とし格闘多数にまんま劣らぬ切迫組立、場も素材も自在にザッピング感覚で粗くか細かいかわからないで繋がりゆく、或いはダレても·というか時代の空気感伝えたくまんま流したり。ツイストも今真似てもあのナチュラル一体感はどうやっても再現は無理、が如実に直に伝わる。スタイルの敢えて荒さを残してる気すらする。時代の丸ごとかつ、最適最良の生物学的吸い取り·感覚的拡げ。
かなり劣化した、TVや映画のカラーも質も劣化した16ミリ素材のフッテージを、巧みと言うより、素人関心ゴツゴツ·大胆·しつこく·訳無視めに繋ぐ。普通こういう引用物では写さない名前羅列のメイン·タイトル長々め、そしてその引用作をろくろく語らないうちに、Endマーク画面が矢鱈に出てくる。分断し続きが間を置いて出て、様々な呼応や関係·絡まり感を出してくる。TV番組を流すうちに、(スタジオ撮りの)CMも切らずにそのまんま流してく。
サイレント映画と客席、公開TV番組、フィルムで撮られた西部劇·家庭もの·SF·時代活劇·動物もの·車ものらのTVシリーズ、同じくTVのヒーローアニメ、清潔を特に強調するしつこいCF(美容·子供菓子·薬品·連打国債)、B級の怪物映画や時代活劇、被るがラッドやブランドやマルクス映画ら著名作(アンマーグレットはTV)、サリバンやヒッチコックもだがグルーチョがホストの公開番組も貴重、他にも一瞬反応顔だけの映画カット挿入、ビートルズやアニマルズのステージやMTV的な物の挿入、ニクソンの弁明会見ら権威あるところからの姿、それらが自在に·入れ子式にも組み直し、自分の作の様に勝手に組合せ、呼吸させてく。取分け冒頭から、間をおいては繰返し出てきて、内容が繋がれてる、三角関係から巨大女もの、娘の門限破りから執拗にあちこち突っ込むヘンテココメディ、スピードに嵌まり狂気に至る青年もの、真面目な映画の一部とみえり深刻さから「バファリン」の優しさ強調を繰り返すCM、らか。前半はTVのウェイトが大きくそのマイナー細かいしつこい·スッキリては行かぬ所から、映画の部分部分積み上げ引用でも、夫の浮気と精神に異常をきたしてる妻、娘の不道徳を異常に怒り嗅ぎ回る父(会話へのズレしつこく盾にしてのコメディ)、らがこちらにも踏み入ってくるように、内的ディテールが諄くしつこくも可笑しく伝わり来て、渋さや苦さも普通·力みないところからの、真に磨き上げられた労作でもあるとも感心する。
それに比べると後半は、様々世紀末怪獣破壊·殲滅ものが、何本も大胆に、併行し、交錯し、不思議に同じような頂点を感覚的に求めてく、うねり·速度·切迫·混乱·呼応となってく。宇宙からの大球体·巨人の影響で巨人化する·精神不安定な妻、それとは無関係の海坊主的巨人、NYを襲いくる円盤群(レニーハウゼン)、巨大蜘蛛退治、巨大イナゴ群来襲、可笑しくもある風体の巨大鳥、破壊的無謀な公道レース、『~カモ~』から馬鹿げた戦争場面、ら。破壊·爆裂シーンが行き来し、結果繰り返されると、こちらの神経も麻痺すると共に、終末感の微細行き戻りと延々ニュアンス変えての、果てなさと終わらなさが感じられ、別の具体未來の手応えも手の内に積み重ねられてく。やはり、前半と同じにカタルシスは絶対に来ない。基本、ゴチャゴチャした侭だ。これまでも出てきた「ローンレンジャー」や「ミステリーゾーン」らで括られ、人の心の広さや魂の高さに及ばない、現実世界の無常が語られもする。
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