そーた

ダンケルクのそーたのレビュー・感想・評価

ダンケルク(2017年製作の映画)
4.0
これは戦争映画ではない。

何か出来事を語るときに、
それをどのように人に伝えるか苦心するときがあります。

感情を込めたり、大袈裟に言ってみたり、多少の脚色をしてみたり。

ただ、そのストーリーテリングの前提として、しごく当たり前のことではありますが、その話の元となった事実が存在します。

そしてその事実をありのままに提示する事を、
話し手も聞き手もあまり好まないんじゃないかなと思います。

エンターテイメントを下支えしようという人の心意気がそこにはあるのかもしれません。

しかし、あえてその物語性の是非を問うかのように、話の表現法にスポットを当てているのが、
クリストファー・ノーラン初となる史実を題材にした異色の"戦争"映画。

いや、これは戦争映画では決してありません。

戦争という出来事をどのように語るのかという命題に、
3つの模範解答を提示しながら、
暗にその優劣を主張するかのように配置された構図を観客に突き付ける、
なんとも鋭利な切り口を持つ問題作。

異端な"戦争"映画が描くのは第二次大戦初期、ナチス・ドイツのフランス侵攻のおり、敵に包囲を受けてダンケルクに取り残された40万人の英仏連合軍がとった史上最大の撤退戦。

その撤退に官民一体となって挑み、30万人以上もの兵士を救出したことで英首相チャーチルから奇跡と呼ばれたこの戦いを、
救出を待つ兵士、
自前の船で救出に向かう船乗り、
そして前線でドイツ軍の戦闘機と交戦する英軍パイロット、
という3つの視点を、時間軸を幾分かづらして配置し、終盤に向かってそれらを束ねていくという群像劇スタイルで描き出していきます。

これら3つの視点のうちでメインとなるのは主戦場であるダンケルクの砂浜。

一方的に英仏連合軍がドイツ軍の空爆を受け、過酷な撤退戦を強いられる様子が広大な砂浜で延々と繰り広げられていきます。

ただ、なんというかこの描写は割りとソフトに描かれていて、
目を背けたくなるような画の描写はとても少ない。

それでいて、胸を締め付けるような臨場感あふれる緊迫感は一級品ときている。
ここに、演出の巧さが光ります。

リアルな効果音やハンス・ジマーのミニマルな音楽の助けを多いに借り、
兵士たちが置かれた環境に淡々と反応する様子を繰り返し僕らに見せつけるという手法があの喘ぎたくなるような張り詰めた空気感を生み出しているのでしょう。

没個性的な兵士たちが空爆を受ければしゃがみ、空爆が鎮まれば撤退を待つ列へと行儀よく整列する。

人の個性を極端に掘り下げないことで、誰もが均等に死の局面を共有していることを巧みに表現します。

言い換えるならばレアリズムに徹することでの表現力といえるのかもしれません。

この脚色を廃したレアリズムこそがこの映画の大きなキーワード。

対して、海路と空路で戦場へと向かう船乗りやパイロットの描写には、何やら既視感ただよう脚色がなされている。

どこか見たことがありそうなこれら二つのドラマには、
ただし、異なる特徴があるように感じられます。

海路をいく船乗りは、どこか絵にかいたような愛国心や正義感を持ち理性的です。

一方、空路のパイロットには刻々と代わり行く状況に応じ、感性のまま、自身の信念を貫くというヒロイックな熱さがある。

こんな様にレアリズム、理性的、感性というキーワードを引っ提げた3つのストーリーがどことなく釣り合わずに進行していくところにこの映画のみそがあるように思われます。

脚色を極力避けて事実をありのままに描いた海岸線での撤退を主軸に、ドラマ性のある空と海からのシークエンスを左右に配置するというような、一風変わった構成をとる本作。

どうも絵画でいう、
写実主義、ロマン主義、新古典主義の3つの派に彩られた18世紀末から19世紀初頭のフランス美術史を彷彿とさせます。

いや、それをあえて意図しているんだろうなと深読みしてみると、映画におけるクリストファー・ノーランの信条を垣間見ることができるようで非常に興味深い。

写実主義=主戦場の兵士達
新古典主義=理性的な船乗り
ロマン主義=感性的なパイロット
と無理矢理に当てはめてみると、
どうもこの映画からは写実主義の優位性を主張しているように感じてしまいます。

そしてさらに興味深いのが、民間の船が救出に来たことを知るやいなや歓喜の声を挙げる兵士達の様子は新古典主義と写実主義との共鳴と見なしたくなるし、
また、単機で敵を撃破しダンケルクの危機を救ったパイロットに向けられた賛辞の嵐は写実主義からロマン主義へのエールのようにも感じることができる。

このあたりの描写をみると、
写実主義の優位性を唱えつつも、
新古典主義やロマン主義のような、
脚色表現を否定しようとしているわけではないことが感じられます。

恐らく、ノーラン監督が言わんとしたいことは、戦争において脚色された英雄譚や美化された愛国心などに目を奪われるのではなく、まずは戦場で自身の生存本能でもって生き延びようとした没個性的な兵士達が、実際に生死の際に立たされていたんだという事実をありのままに捉えるべきではないのか、ということのような気がしてなりません。

そういった見方をしたときに初めて、
ラストカットでの兵士の不可解な眼差しを理解できるのだと思います。

戦争の悲惨さを強調するのではなく、
戦争を語る際の前提を提示する映画。

これはやはり、戦争映画ではありません。

だけれど、いかなる戦争映画の緊迫感をも凌ぐ描画力には、
写実主義がもつ大きな力と可能性を感じてしまいます。

なんとも考えさせられた映画。
とても、勉強になりました。

でも、生活での実践は難しい。
受け狙いをしてしまいがちな僕には脚色が全て。

レアリストには到底なれやしない。
そーた

そーた