KANIO

シング・ストリート 未来へのうたのKANIOのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

『ONCE ダブリンの街角で』『はじまりのうた』で一躍脚光を浴びたジョン・カーニー監督作品。
アイルランドと実在の学校Synge Street CBSを舞台に、大不況下にある1985年のダブリンの抑圧された環境で燻っている若者たちが音楽を通して未来を切り開いていく様子を監督の半自伝的作品として描き出す。

今作を観て、ジョン・カーニーは音楽の持つ「前向きで明るい面」というのを映像として魅せるのが本当に上手い監督だというのを改めて思い知らされる。
典型的な抑圧構造にある男子校の環境だったり、自分にはどうしようもできない家庭内の問題だったり、主人公のコナーに理不尽に押し寄せてくるそういった支配の中でも輝く希望や未来の象徴として描かれる「音楽」が本当に最高。

繰り返される家庭内の夫婦喧嘩でどうしようもなく参ってモヤモヤしたものを抱えているコナーが、兄ちゃん姉ちゃんと一緒に一つの部屋に集まってホール&オーツの『マンイーター』を踊るシーンとか最高すぎて泣いちゃうんだ。
コナーとエイモンが2人で部屋で『Up』を作曲しそれが完成していくまでの流れも最高に気持ちよくキマっていて、もうあの下りだけでお腹いっぱいの多幸感に打ちのめされる。

観ている最中は何となく「バンドメンバーのキャラクターをもう少し掘り下げて欲しいなぁ」とも思っていたのだが、最後に字幕で出てくる「すべての兄弟に捧げる」の一文からは、これは主人公コナーの物語でありながらも全ての兄弟の物語なんだと納得。
兄を亡くした経験を持つジョン・カーニー監督が自らの兄を投影して描いたブレンダンからは、監督にとっての兄弟愛がいかに偉大なものだったのかが窺える。
時に「父親」らしく、時に「師匠」らしさをも見せるブレンダンだが、己の胸の内をコナーに明かす瞬間からは、「ブレンダンにとってコナーは今も昔も変わらずずっと”弟”で、これが”兄貴”って事なんだ」と心打たれる。

最初はダサくて未熟さ満点だったコナーが、恋愛や音楽を通して徐々に垢抜けていく感じがちょっとした役者の表情や歌声からしっかりと描かれていて、それが最後の『BrownShoes』で最高に格好良くキマった瞬間なんかは、もう内心スタンディングオベーションで映画館で大人しく座っているのが苦になるくらいゴキゲンで感動的なカタルシスへと昇華される。

物語の最後、ロンドンへと旅立った14歳のコナーにとって、人生はまだ先の見えない事ばかり。そしてそれは大海原のように広大で、雨は容赦なく彼を打ち付けるし、行く先を阻む大きな障害物だってある。
しかし彼は進む。大切な「音楽」を教えてくれた兄が「自分が掴めなかった何かを掴める」と信じ後押ししてくれたから。
理不尽な支配から抜け出した彼の”シングストリート”は続く。
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