The White Knights(英題)を配信している動画配信サービス

『The White Knights(英題)』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

The White Knights(英題)
動画配信は2025年6月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

The White Knights(英題)が配信されているサービス一覧

『The White Knights(英題)』が配信されているサービスは見つかりませんでした。

The White Knights(英題)が配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
Rakuten TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
dアニメストア
Hulu
Netflix
JAIHO
ザ・シネマメンバーズ
WOWOWオンデマンド
アニメタイムズ
Roadstead
J:COM STREAM

『The White Knights(英題)』に投稿された感想・評価

1.0
【ヨアヒム・ラフォスってこんなに酷いの?】
※Filmarks未登録作品『After Love』評も併せて記載

第74回カンヌ国際映画祭のシーズンがやってきました。コンペティション部門のラインナップをみていると、見慣れない名前の監督の存在に気がつきました。ヨアヒム・ラフォス(Joachim Lafosse)はベルギー出身の映画監督です。オティニー=ルヴァン=ラ=ヌーヴにあるInstitut des Arts de Difusionで学んだ後、2004年に初長編Folie Privéeを撮る。本作は、離婚するにあたって息子の所在をどうするのか悩む話であり、後の『After Love』に通じる物語となっている。2012年に発表した『Our Children』で5人も子どもを殺害した女を巡る物語を描き、主演のエミリー・ドゥケンヌが第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門で女優賞を受賞した。

そんなヨアヒム・ラフォス監督作を2本観たのだが、あまりに酷すぎて心折れそうになりました。

★『After Love』評
よく映画は演劇と比較される。アンドレ・バザンの「映画とは何か?」を読むと、かつてのフランス映画界は映画が演劇から抜け出すことにもがいていたようだ。演劇的な作品でも傑作はある。濱口竜介の『PASSION』や『ハッピーアワー』を観ると、カットと長回しの緩急によって人間の汚い部分が浮き彫りになる。限りなく演劇的でありながら、寸止めで映画になっている演出が魅力的だった。しかし、『After Love』は単に部屋の中で離婚する夫婦の間で揺れ動く子どもを映しているだけで全く持って面白さを感じられない。

確かに、あれだけ子どものことをみている母親よりも子どもたちはぐうたらしている父親の方に歩み寄り、フラストレーションが溜まっていく様子はリアルだ。現実でもよくある光景だ。しかしながら、映画は現実のあるあるを映しているだけにすぎない。だったらドキュメンタリーでやれって思うし、ドキュメンタリーでやったところで、あの単調なカット割りでは魅力を紡ぐことは難しいだろう。そして演劇ですら、役者の動きや舞台装置の創意工夫で独特な空間を作り出すというのに、それすらせず役者の演技だけで傑作を作ろうとしていること自体演劇に、演技に失礼だと思う。監督の怠慢が滲み出る駄作であった。

★『The White Knights』評
意識高い系で海外ボランティアに行く人にとって最大の悩みは「何故、日本でなく世界の人々を救おうとするのか?」だ。西成区あいりん地区に行けば、貧困のどん底にいる人の存在に気づくでしょう。日本にもシングルマザーの問題やホームレス問題はあるのに何故海外へ出ようとするのか?海外で活躍する自分カッコイイというエゴをいかに隠すのか、その理由を探している人は少なくない。

さて、『The White Knights』は先進国の見下しの視点がある映画だ。単に意識高い系を批判している映画かと思いきや、恐らく監督の深層心理にある見下しの視点が隠しきれていない作品である。

NGOでアフリカの子どもたちを助けようとする人々の物語なのだが、どう考えてもアフリカの現地民が背景として処理されてしまっている。現地民とのコミュニケーションの難しさが中心に添えられているのに、重々しい空間で対話するショットを単調に繋げている。丸山ゴンザレスや高野秀行といったジャーナリストの本を読むと分かるが、緊迫感ある地域の異文化コミュニケーションは間が重要だ。相手の間に合わせるため、タバコや食事、薬物といったもので核心ついた話題を切り出すタイミングを伺う必要があるのだが、本作はただ会話して白人様の思惑に誘導しているだけなのだ。

アフリカの人々を救うって言っているけれど、タイトルからして「お前ら大変だろ?正義のヒーローが助けてやるよ」と上から目線なのが鼻につく。それで持って傲慢な現地の軍人や、現地民を思うように動かせない自分たちに苦悩するって呆れる。

意識高い系の苦悩を辛辣に描いた作品を観たければ、『僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.』を観ることオススメします。
3.1
2014年のヨアヒム・ラフォス監督作品。ベルギー出身の彼にとって本作は長編6作目。これまで映画監督の苦悩や家庭の問題を取り扱ってきた。とりわけ『Élève libre(2008)』や『À perdre la raison(2012)』では親代わりに現れた善意ある他者によってもたらされる混乱が描かれている。前者では将来有望だが学業が疎かだったテニスプレイヤーの少年の個人教師が数学や地理、そして性的な教育まで実施するようになる。後者では4人の子供を育てる幸福なカップルが、一緒に住むことになった養父である裕福な医師に支配され始め、精神のバランスを崩した妻は子供たちに対して、考えられる最も不幸な行動に出る。ラフォス作品では善と悪が対立構造にあるのではない。彼がしばしば口にする格言「地獄への道は善意で舗装されている」が彼の映画作品の要約をしているのだ。
『白い騎士』では家庭内から大きく外に出てアフリカを舞台にしているが、戦災孤児を救済するNGO団体という善意の塊のようなところに着目しているのがラフォスらしいところだ。本作では団体名が「Move For Kids」と変更しているがフランスのNGO団体「ゾエの方舟」に基づいている。ゾエの方舟はスーダン西部で起きたダルフール紛争の孤児の保護と主張していたが、100人以上の子供達をチャドからフランスへ移送しようとしていた。ほとんどの子はスーダン人ではなくチャド人で、親や保護者がいる子もいたことから、誘拐未遂罪などで逮捕されてしまうという、スキャンダラスな事件を起こした団体だ。

ジャック(ヴァンサン・ランドン)率いる人道支援活動団体「Move For Kids」はアフリカ某国にやって来て村々を回って援助活動をしている。彼は戦争で荒廃した地で親を失った孤児たちのために活動している。村の人たちには新しく設立する孤児院で保護すべき子供を探していると言う。そして通訳を通してその施設で料理人や乳母として働く人も探していると伝えると希望者が殺到する。しかし物語の早い段階でこれが嘘であることが判明する。ジャックはフランスで親になることを希望している人たちと養子縁組を約束していたのだ。村人に直接子供に対してのお金を支払っていないので人身売買に当たらないかもしれないが、村人たちは孤児についての「情報」の対価としてお金を得ている。
彼らのフランス人スタッフは医師、消防士、看護師などもいるが、このアフリカの地の文化や風習に興味がないようで誰もフランス語以外話せず、現地の人と直接話すことができない。故郷から遠く離れた彼らは疲労しており、彼らが行なっていることの良心の呵責もあり、口論も生まれ始める。そもそもきちんとした戸籍が無く、孤児とされる子の名前や年齢が分からない。本当に孤児なのか村人がお金のために嘘をついているのかも分からない。そういった中、同行しているジャーナリストのフランソワーズ(ヴァレリー・ドンゼッリ)は映画の観客に近い視点で状況を見つめ、カメラを回している。彼女が本作に残された僅かな良識であったはずが、チーム内で議論が紛糾するとカメラを止めさせられてしまう。

本作は前作『À perdre la raison(2012)』同様、事実を元にしているが、だからこそ観客が概ね結末を分かったうえでの鑑賞が前提にあり、どこまで見せるかや誰を中心に据えるかなど脚本段階での工夫が感じられる。逮捕直前の砂漠での逃走劇などこれまでのラフォス作品に見られなかったスリリングなシーンも見所の一つだろう。観ていて気持ちのいい作品ではないが、スーパーヒーローのダークサイドを描いたような、嘘にまみれ倫理観を欠いた白い騎士たちの顛末はこの映画以外ではなかなか観られないだろう。
ni
-
現地アフリカ側との交渉課題の山、治安悪化する中で、それでも孤児や病気の子供を助けたいフランスのNGOの話。ただ、現地民の大人に彼らを理解して快く受け入れてるひとなんて、結局何人いたんだろうかとすら思う。映画としても先が見えない、次のシーンすら見えない、最後まで見てもわからない不安だらけで、最後10分はこれまでにない緊張。Louise Bourgoinがでてる。せめて仏語字幕ほしかった。

この作品で1ヶ月のIFcinémaマラソンは閉幕。