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パターソンのTnTのレビュー・感想・評価

パターソン(2016年製作の映画)
4.7
 ジャームッシュは「デッドマン」以降あんま見てないので、どうなったことやらと覗いてみたら、撮り方こそ変わっていたが、やってることほぼ一緒で安心した。そして今作品の安定感。まさにコロナ禍で失われた平凡な日々が、今見ると余計に響く。アメリカ的な恋人の関係と、それでいて情熱的になりすぎないジャームッシュらしいドライな雰囲気のバランスが愛おしい。映画を撮るなんて波乱に満ちてるだろうに、こうしたテーマを一貫して作れるの良いな。

 最初は、あまりにも普通の撮り方にちょっと不安になった。カットといい構図も、美しいが何か気にとまらない。「オハイオ・ブルー・マッチ」のクローズアップも、妙な伏線感が漂う。音楽もどことなく不穏さを煽る。え、もしかしてサスペンスなのか?なんて思いながら迎える「火曜日」のテロップ。そして次第に繰り返しを経ていくカット群。それらは、1日という形式の中で微細な変化を持ったカットへと変わっていく。なるほど、カットが単調なのも、妙なクローズアップや同じ構図も、それ自体が普遍的であることで、むしろそこに映し出される対象の微細な変化に気がつかされる。相変わらずしっかりとした形式が、彼の映画を支えていると思った。

 絶妙な視線のやり取り。そしてパターソン演じるアダム・ドライバーの仏頂面の反応が面白い。二人の人間がカウンターに並び、一方が視線を相手に向けるが、相手は気づいていない。その後その相手が同じように視線をやっても同じようになる。みたいな、このぎこちない人間同士の距離感がクスッと笑える(もちろんブルドッグとの関係も忘れてはならない)。

 またパターソンの妻のローラが作った食べ物に困惑しつつも食べる時のなんとも言えない表情。パターソンはおいしいと言いつつ、全部水で流し込んでいるという笑。それでいて彼らは、絶妙にお互いの領域を守っており、その夫婦の距離感は独特。ここまで理解し合えている夫婦像は監督の理想像なのだろう。また、知らない人がフランクに話しかけてくるあたり、日本ではやばいけどアメリカだと普通なのだろうか。現実と理想のバランスがちょうどよくて、ジャームッシュが敬愛する小津映画の雰囲気があるように思えた。小津もなんかのインタビューで、自分が作る映画に対して「あんな親子像や家庭像は理想であって、存在はしていない」と言っていたのを思い出す。そんな理想を目にした気がする。にしても、ローラ役のゴルシフテ・ファラハニが、美しく愛嬌のある妻を好演している。毎朝寝相こそ違うが一緒に朝日に照らされる彼らの愛おしさ。朝起きては夢の話を聞く時の良い一時。また、やたらとアーティスティックなローラの思考も良い。パターソンも同じくそうした面を持っているが、必ずしも同じ芸術観ではない。それでもお互いが許容しあっているあの感じ素敵。彼らを見てて、あの曜日のテロップが出ることの幸福感といったらない。

 恋愛観。明らかにジャームッシュも年を取ったように思える。ある意味、老人のようにじっとした視線で恋愛を描く。小津のあのどっしりと据えられたカメラのように。かつて「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、登場人物がみな恋愛の一歩手前で踏みとどまり、決定打はむしろ彼らを散り散りにしてしまうというシビアさがあった。それを踏まえれば、今作品はやはりシビアではない理想の恋愛像がある。ただ、常にバーの常連のエヴェレットとマリーの恋の不穏さも着いて回る。パターソンがその後書いた「pumpkin」の詩は、そんな落ち着いた平穏の中ではあまりにも熱を帯びていた。「君が僕の元を去ったら、僕は自分の心をずたずたに引き裂いて、2度と元に戻すことはないだろう」という一節の情熱は、「ストレンジャー〜」でいうスクリーミン・ジェイ・ホーキンスの歌「I put a spell on you」と同じ奇妙さを持っているのだ。だが、それが読まれる前にブルドッグが詩を引き裂いてしまう。その情熱は彼らの保たれた平穏を壊しかねなくて、ある意味、あのブルドッグは絶妙なタイミングで引き裂いてくれたのかもしれない。わざわざその情熱を伝える必要はなくて、彼らがお互いに信頼しあうことが、その日常のバランスを守ってる気がした。
 
 偶然は起きる。双子の話をローラがしてから、パターソンはやたらと双子を目にする。あまりにもいすぎやしないかとも思われる頻度で出るが、人間、自分の気にかけたことをよく目にしてしまうものだ。今敏が、映画のアイデアを本屋や町で偶然に見つける時、それは偶然ではなく、しっかり自分がそれらにアンテナを立て敏感になっているからだと言っていた。そんな感じで、気になった会話がパターソンに心地よく流れ込んできたり、不自然だが自然な出会いが今作品にはある。最近、ほぼ外に出ない自分が不意に散歩してみると、いろんな発見があって面白い。たった一回出ただけで、偶然友人に出くわしたり、ドラマの撮影現場を目撃したりした。日常のこういった神秘の描き方として、ジャームッシュはやはり鋭い眼力がある。

 音楽はジャームッシュ率いるSqürlというバンドが担当している。ただ、ちょっとサスペンスフルすぎた音色だったようにも思える。今作品の静かな日常をあまり邪魔しないようにしたのだろうが、ちょっと内省的にも感じたしミスマッチな気がした。監督本人が作曲するということで、おそらく詩人に纏わりつく孤独感がより前に出された感はある。この音楽はパターソンの詩以上に彼の内面を描き出し、そこにおいて監督とパターソンはほぼ同一人物だと言えるだろう。

 あと「ミステリー・トレイン」以来の永瀬正敏の出演も良かった(意外にもファンサービスだが、最初全く気がつかなかった笑)。ここでの彼は、あの滝の前に座ったパターソンを、瞬時に詩人だと気がついたのだろう。最後の振り向きざまの永瀬の「Uh-huh」は、なるほど詩人ねという意味なのだ。また同じ感性の者同士が同じ滝に惹かれるという粋さ。

詩が普通に良かったな。パターソン市の風景も、所謂アメリカという感じではないのがよかった。なんかもう、次の週も、次の次の週も彼らを見ていたいような心地よさだった。

 「君は魚になりたいかい?」
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