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ブラック・スワンのhoruchのネタバレレビュー・内容・結末

ブラック・スワン(2010年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

ストレスからの体調不良で、仕事を休んだ日に鑑賞。
 
ナタリー・ポートマンの演技力と美しさ、ストーリーと演出の妙に圧倒された。

建築や機械をいじる時に、遊びを持たせる、遊びがない、といった表現をする。遊びというのは動くものの周辺、接合部をぴっちりと締めるのではなく、あえて余裕を持たせること。それをしないと性能が出なかったり、一時的には動いても続けているうちに破綻してしまう。

純粋で従順で真面目ないい子のニナは、自らをプリマ・バレリーナとして締め上げていくことで完璧になれると信じていた。
真面目だけど心に余裕、つまり遊びがない。だから、少しのことで心が揺さぶられ、傷つき、動揺し、さらに彼女を過敏にさせていく。
これがスリラー映画でなかったら、彼女の枠を壊して遊びを与えてくれる人との出会いがあり、それが彼女を成長させて、プリマ・バレリーナとして花開くというストーリーになっただろう。けれど、性的な快楽や享楽が枠を壊すとそそのかす人しかこの映画には出てこない。

結果、彼女は自分を追い詰め、破綻していくほか、白鳥、そして黒鳥、絶望した白鳥を踊り切る方法を得られなかった。
 
幻聴や幻覚の演出は、どこまでが現実でどこまでが彼女の見ているものなのかが観客には分からず、とても素晴らしかった。
彼女は結局、自分の精神に遊びをもたせることはできなかったのだが、最後に完璧に踊ることができ、それはバレエ団からも観客からも認められるものだった。彼女が生きていても、死んだのだとしても、たった一つの勲章を得られたのだと感じたのであれば、それも一つの幸せな終わり方だろう。
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