Yoshmon

メットガラ ドレスをまとった美術館のYoshmonのレビュー・感想・評価

3.5
ファッションとは「芸術」であるか、否か。
こんな議論が世界では行われているらしい。

従来、世界のファッションデザイナーの考えでも、自身のデザインした服が美術館に展示されることは想定していないのがほとんど。

そんな状況に変化をもたらしたのが、NYメトロポリタン美術館(MET)で開催される"MetGala"。

ファッションを「芸術」まで昇華させたファッション業界では伝説とも言える(らしい)世界的に有名な美術館での展覧会イベント。

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この作品は2015年に開催されたMetGala展覧会「鏡の中の中国(China:Through The looking Glass)」の裏側をMetGalaの中心的人物であるNYメトロポリタン美術館の服飾部門キュレーターであるアンドリュー・ボルトンと、”プラダを着た悪魔”ことファッション雑誌”ヴォーグ”の編集長アナ・ウィンターを中心に追ったドキュメンタリー。

展覧会を通して伝えたいメッセージ、
入り口から出口までのインテリア・世界観、
展示の順番、
それぞれのコーナーの配置とデザイン、
照明の色・明るさ、
その他諸々を綿密に計画・準備を進める。

飾る服飾のみならず展覧会の空間づくりそのものが一種の芸術作品とも思わされるその過程。

オープニングイベントにはレッドカーペットが敷き詰められ、25000$の席料で準備された600の席は著名なポップスターやハリウッドスターで埋まる。
出席者(特に女性)は非日常的な華麗なる衣類を身につけて出席する。

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その壮麗な場面を見ていればファッションの世界におけるその重要性は十分伝わってくるが、個人的にはそこまで重要性を持たせる意義はしっかり伝わってこなかった。

ファッションを「芸術」と位置付けることで誰が得をする?または損をする?

個人的に思うのは無理矢理「芸術」に「ファッション」を従属させる必要は無く、1つの独立したジャンルとして成立させるべきということ。

「芸術」はあくまで「芸術」であって、それは「鑑賞」という行為を通して感じたり味わったりするもの、それと「創作」を通して自身の内に秘めたものを表現するツールであること。

もう一方でファッションにも主に2つの機能があって1つは自分を表現する手段。そしてもう1つはシーンによって使い分ける安全衛生や機能性も配慮すべき「道具」としてのファッション。

芸術とファッションに共通するところはあれど、ファッションはどんなに自身を表現するツールとして優れていたって身に着けなきゃ意味がない。ガラスケースに入ってるだけじゃ意味がない。

このMetGalaで集まった席料(25000$*600席)はその年のメトロポリタン美術館服飾部門の資金となるのは素晴らしい仕組みであるし、自分の考えが庶民的なのは分かってるけれど、今の僕にはこの考えがしっくりくる笑

ちょうど今年のMetGalaの様子がFashion WeekのFacebook pageに掲載されてる。
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