ぬーこ

田園に死すのぬーこのレビュー・感想・評価

田園に死す(1974年製作の映画)
4.1
監督・脚本 寺山 修司


○2回目 2021.5.19
筆者の母へのトラウマが色々な方向から描かれているよう
15歳の自分と愛情深いが物分かりの悪い母
隣人の美人妻と恨みの赤い櫛の母
難産の末産んだ子を間引かれる女、そしてその女とまぐわう

蛍の逸話
母ちゃんに蛍捕まえてきて裏からこっそり入った。すると家の中から母ちゃんの聞いたことのない声が聞こえ、母ちゃんは知らない男に抱かれていた。(これって寺山修司本当の話?)
蛍を母ちゃんに見せず、机にしまった。そしたらその夜、蛍の光で火事が起きた

ケラケラケラケラ、、

母娘が写っている写真、どれも顔面が割れている
サーカスの陽気な音楽と対照的な不気味なサーカス団、ねぇふくらましてよ♡
めちゃ一生懸命膨らますようポンプを押すのにちっとも気持ちよくないと言われる。まだガキなんだな。
時計を持つこと=大人
誰もが時計を持っていると喧嘩になるでしょ?→何で?→だってどれが本物の時刻か分からないでしょ?

実家の柱時計を縄で縛りつけている母。でも夜、息子は家出する。縛れない。

セリフ
過ぎ去ったものは全て虚構だと思えば良いんだよ


○1回目 2021.5.11
なんかもう凄い。
自分が産まれてきてから見てきた色々なカルトアニメや映画、それの原点というべきか、これを見てしまうとその先の映画も本作を思い出しながら見てしまうだろう。

テーマは母との確執。母殺し。
父との確執は近代文学の最重要テーマとして描かれ続けてきた話であるが、理解者であり守護者の母との複雑な関係は斬新に思った。父を幼い頃戦争で亡くし、母とは12歳で一時的に別離した寺山修司ならではのテーマなのだろう。
それにしても青森は特異な才能を持った人を産む土地柄だわ。もう一回見よう!

冒頭、恐山に母親を埋めたという不吉な詩

みんな白粉 
畳の下は異世界、
母と喧嘩し、恐山のイタコに会いに行き、父の霊を下ろしてもらう

ピンクのモヤがかかった画面、日章旗持って、子供達を連れ立って草っ原を走る

線路を辿っていく主人公、将棋、赤い海、なんかエヴァ感ある。
大人になった自分と中学生の自分が将棋の対局

青森県は下北半島は振りかぶろうとする大きなマサカリ、津軽半島は人間の頭だ。まさに殺されようとする頭っていう見方良かった(三上寛)

○女性が何人も
母はあまり描かれない、息子に出ていかれる哀れな象徴

1隣の魅惑的な奥さん
→主人公に駆け落ちを仄めかし、共産主義者の男と不倫。売られた過去
母が出征した父を待ち侘びながら死んでいった。母との思い出は陰惨で主人公と通ずるものがある

2間引きから逃げ惑う娘
何の象徴?
赤ん坊川に流した直後に、草で作ったゆりかごが逆さになっちゃうのつい笑ってしまった
川から流れてくるひな祭りのひな壇なんてバックの音楽含め今敏のパプリカの原型じゃん
そして最後は間引きの女と、、

3サーカスで男に膨らませてもらう女
同じサーカスの男に捨てられる。


○時計の件
母との確執の象徴?
サーカスの女が時計を持っていることに驚く主人公。
母)時計は家の中で柱に入れて持ってるのが一番いい。それを腕時計に入れて持ち出すなんてとんでもない考え。家族2人きりだから

○構成
前半40分 
白粉をつけた住民がいる青森の田舎町
中盤
前半が映画でそれを制作した主人公の話
タイムパラドックスについて考えていると、少年時代の自分に合った

○セリフ
皮かむりの手術しようと思うんだ
人間は記憶から解放されない限り自由になれない
夢の中の自分にとっては現実だった

母さん、どうか生き返って。そして私を妊娠して。私はもうやり直せないのです。

村中の田畑から死んだ母さんの真っ赤な櫛が出てきた。
女なんかに生まれるんじゃなかった。人の母にはなるんじゃなかった。


2021.83
ぬーこ

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