Davy

ブレードランナー 2049のDavyのネタバレレビュー・内容・結末

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

ストーリーのワクワク感はさほどない割に3時間があっという間に感じられるのがすごい。十数年後のカルフォルニアは、前作のブレードランナーやそれに影響を受けたSF作品に比べ華やかさは少し欠ける。ゴミゴミとした中にある活気のようなものは、あの頃に比べ失われていく意識があるのだろう。
そう、ゴミゴミとした中にある活気、信念を貫き通そうとする熱さ、それは前世代的であることをこの作品は悲しくも伝えている。旧型と新型のレプリカントは、まるで高度経済成長を知っている世代とさとり世代と言われる現代っ子の性格をそのまま受け継いでいるようだ。
データで作られた彼女も、もしかしたら自分は奇跡の存在であるかもしれないという期待も、(そして父親の存在も)全て失われて、Kは静かに笑う。
悲壮感があるわけでも、絶望であるわけでもない。

なんだ、仕方なかったな。

奴隷の代替品であるレプリカントの存在や、退廃した世界観がディストピアなのではない。同じストーリーでももっと感情を掻き立てる演出や表現ができたはずだ。それをあえてせず淡々と。無感情なのではなく、ただKは「そう」なのだ。馬鹿にされながら仕事をし、アパートメントに帰って触れることの出来ないデータで構成された彼女とイチャイチャする。それでいい。それ以上もそれ以下も望まない。もっと良い世界を描けるかもしれない、それも別にしなくていい。そういうKのような存在は幾らでもいる、いっそ増えているかもしれない。そんな彼らがディストピアなのだ。

デッカードはKに言う、大丈夫か?
大丈夫もなにも、あがいたって得られることの出来ないものに、Kたちは手を伸ばさない。
Davy

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