いさましいちびのこなやぎ

わたしは、ダニエル・ブレイクのいさましいちびのこなやぎのレビュー・感想・評価

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フィクションの存在意義のひとつは、その時代の文化、情勢、空気をパッケージングして物語史のなかにアーカイブとして残すことだと思う。いつか何年後、何十年後かにこの映画を見た人たちが「この時はひどかったね、あんまりだね、誇張しすぎてるんじゃない?今からじゃ想像もできない」って一笑に付すような、そんな時が来てくれればいいのだが。
フードバンクやスーパーマーケットでのケイティにも、図書館でパソコン相手に格闘するダニエルにも温かく手を貸してくれる人はいる。しかしいかんせんそうした「共助」だけでは限界があってじわじわと状況は厳しくなってゆき、ついに皮肉な結末を迎えてしまう。
正直そりゃないよ、と思ってしまった。ケイティも結局お金は稼げるけど尊厳は売ってしまって、ひたすらに救いがないのだった。前半までならもう少しハートウォーミングなままでいられたのに、と恨めしくすらあるけど、そうさせてもらえなかったのは、やっぱりそれじゃだめだからなんだろう。

【追記】↑は視聴直後の感想だけど、一晩経ってまた違う感想を持ったのでメモ追記。
ケイティがお金を稼ぐために性サービス業に「身をやつす」(あえてのカッコ書き)展開、初見ではひどいと思ってしまったけど、それ自体がすでに偏見なのだなと反省した。彼女にしてみれば限られた選択肢からの「まともな」答えであり、偶然にして幸運にも得られたチャンスなのである。何より実際収入は得られるのだから、いくら善意でも他人がのこのこやってきて「残念だ」とか「悲しいよ」みたいな言葉で責めたところで大きなお世話でしかないよな。
あと、感動を誘う(であろう)ダニエルのメモをケイティが読み上げるシーンに「あのシチュエーションでこんな散文を披露しても、結局申請は通ってなかっただろうなあ…」って冷めた感想を持ったことも正直に書いておきます。それ含めてダニエルの不器用さ、生きづらさを描写しているのだとしたら見事としか言う他ない。