きえ

ハクソー・リッジのきえのレビュー・感想・評価

ハクソー・リッジ(2016年製作の映画)
4.3
1945年5月、太平洋戦争末期の沖縄戦で衛生兵として従軍したデズモンド・ドスの実体験を描いた戦争映画。しかし第一義的に描かれるのは崇高強固な信念にフォーカスした1人の男の物語である。

前半は無邪気な少年期から美しき伴侶ドロシーに出会い結婚する迄の豊かな人間ドラマ、後半は一転、沖縄での過酷な地上戦をこれ以上ない衝撃シーンの連続の中で描き、見る者に多くの問いと正義の意味を投げ掛ける。メル・ギブソンの監督としての力量を見せつけられた新たなる戦争映画の誕生。

見終わってまず思った事。それは敬虔なキリスト教徒(正確にはキリスト教系の新宗教SDAの信者)であり少年期に苦い経験もした事から『汝、殺すなかれ』と言う教えを大切に大人になったデズモンドにとって、映画として切り取られた時間はヒーロー然と特別視されるものではなくごくごく当たり前の生き様だったのではないかと言う事。

そして注目なのはデズモンドは決して反戦論者と言う訳ではない。『人を殺してはならない』と言う信念を声高に人に強要する事はない。ただただ自分の信念として公言し実行するまで。そこに相反するもう一つの信念が湧き上がる。『国の為に尽くしたい』…それは皆んなが戦争に行く中、何もしない自分に後ろめたさを齎すのだが、前半ではデズモンドが『衛生兵』に至る迄のそうした細やかな心情と信念が形成される過程が丁寧に描かれている。また、戦争によるPTSDで酒浸りになりDV化して行く父親の描写は戦争と言う狂気が齎した影であり、男の物語と並行して戦争の悲劇を押し付ける形ではなく観客が感じ取る形で描いている。

この作品を通して初めて知った言葉
『良心的兵役拒否』
主に宗教の心情に基づくもので、良心に基づく信念として認められている。しかし当時は建前論であり『非国民』『売国奴』『反逆者』と言う負のレッテルと共に罵倒、侮辱され差別や迫害を受けていた。それを踏まえても『人は殺しません。銃は持ちません。』と口にする事はどれ程勇気の要る事だったろうと思う。
更に、そうは言っても過酷な戦場で命の危機に迫られた時、人は善悪も信念も何も無くなり死にたくないが為に武器を持つのではないかと思う。しかしデズモンドの信念が揺らぐ事は1mmも無く途中からは神に思えてならなかった。

そう思わせたのはアンドリュー・ガーフィールドだったからなのかもしれない。『沈黙』での苦悩、救えなかった信者、それでも沈黙する神が、ハクソー・リッジの地獄絵図の中で回収するかの如く降りて来た。2作品見た人であれば似たような感想を持ったのではないだろうか。

『神様、あと一人、あともう一人だけ』

と祈りながら銃撃の中で負傷者を探す姿は、ある意味狂気だったのかもしれないと思う。その到底真似できない狂気をアンドリュー・ガーフィールドの演技も狂気のレベルで応える。この作品を見たら今年のアカデミー賞主演男優賞はケイシー・アフレックよりアンドリュー・ガーフィールドではないかと思う(ケイシーも良かったよ)

戦場シーンにも触れておく。
戦争映画は多くは見てない。傑作と評されるもので未見のものもある。そんな中で直近だと昨年『野火』を見て衝撃を受けた。そして今回この作品はその衝撃以来の衝撃だった。容赦ない凄惨な描写は言葉では表現出来ない。途中3度くらい驚かせ的シーンがあるが椅子から飛び上がった。これを見て未来に起こるかもしれない戦争を仕方ないと思える人間が居たら狂っている。この戦場に愛する夫や息子を行かせたい女など存在しない。延々続く無意味で無差別な殺し合いを見ながら涙が出てきた。人間の愚かさに対しての涙だ。戦争は絶対に嫌だと強く強く思わせる映像描写を私は評価したい。

そして最後に、この作品に敵はいない。
描かれるのは紛れもなくアメリカ側から見た沖縄戦であって敵国は日本だけど、その日本側にもアメリカサイドと同じ様な人間ドラマがあるのだろうと想像しながら見る事が出来た。戦争は戦争そのものが悪であり敵であって、戦い合う者同士は同じなのだ。ラスト日本軍の、いや侍ニッポンの責任の取り方をも描きながら戦争が人間を狂わす悲しさを両国それぞれに感じ取る事が出来た点も評価したい。

1人の男の生き様を通して戦争について様々考えさせられるこの作品を今見るべき1本として多くの方に見て欲しい。
きえ

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