Ryota

ウォーキング・アウト(原題)のRyotaのレビュー・感想・評価

3.1
初めてのレビューなので丁寧めに描いてみました。
舞台はアメリカとカナダの国境沿いにあるモンタナ。アメリカ人でさえほとんどがいったことない場所だけれども、個人的に思い入れがある場所。ここでは他に「レヴェナント 蘇りしもの」「モンタナの風に吹かれて」等が撮られているのだけど、やっぱりモンタナって言えば雪、グリズリー、田舎がフォーカスされるんやな笑。映画の内容はInto the Wildを想起させられたけど、最後の終わり方がなんとも…。伝えたいメッセージが何なのか、もうちょっとはっきりさせなければ、最後観てる方は「ん?」ってなるかなと思いました。

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冬真っ盛りのアメリカ・モンタナが舞台。
思春期真っ盛りの15歳の男の子(デイビット)に、猟に熟練した父親。二人は雪の降りしきるモンタナの山奥へ、ムース狩りへ出かける。初めは嫌がっていたデイビッドだが、ここで帰るかどうするか、との父の言葉に携帯を置いて銃を持ち、山へ入る決意をする。

いざ山に入ると、毎日、一瞬ずつが自然との対峙である。水を汲む、火を焚く、いのちを奪う。その一つ一つを父から教わり、「生きる」ことを学ぶデイビッド。父もまたその父から猟を、生きるということを学んだ。初めてムースに遭遇し、手が震えて銃が持てなかった時から、父と行った最後の猟で撃ったムースに、食用以外のいのちを殺めるのは、猟ではないということを教えられた時。時に厳しく、しかし真摯に、父が子に自然を、生き方を教示していく。

事態が一変するのは映画も中盤、こうやって映画も終わっていくのかなあと思った頃。デイビッドがグリズリーに手を噛まれる。もう一度戻ってくるから、とにかく木に登れ!とデイビッドを押し上げながら銃を渡す父。無理だよ、無理だ、とパニックの中絶叫するデイビッドは、ふとした瞬間に銃の引金を引いてしまう。木の麓に倒れこむ父と、銃。その周りに飛び散った血。そして、虎視眈々と獲物を狙うグリズリー。グリズリーはその後過ぎ去り、ことなきを得たものの息子以上に、父が重傷を負ってしまう。

どうすべきか。お前なら帰れる、運転もできる、という父、ひたすらに首を振る子。デイビッドは心を決めて、父を背負って帰ると、宣言する。長く、厳しい道のり。歯を食いしばりながらもお父さん、何か話してよと言うデイビッドに、背中の父は自分と父との猟の思い出をひとつ、またひとつと語る。だが、一晩明け、また一晩明けるごとに父の衰弱は目に見えて増していく。大量の血を流し、凍傷を負い、意識も混濁し始める父。父をなんとか助けたいとの一心で鳥を狩り、水源を探し、帰り道を探るデイビッド。

ふと、開けた場所に出る。「See the sky there? That’s tomorrow’s sky(ほら、空が見える?明日の空だよ)」とデイビッド。ほとんど意識がない父だけでなく、自分をも勇気付けようとしたのかもしれない。程なくして、デイビッドは民家にたどり着く。しかしそこで耳にしたのは、医者による父の死亡宣告だった。

「本当に残念に思う、だが君のお父さんは今朝くらいに死んでいたと思う」

この言葉にデイビッドは「うん、そうだよね、知ってた」と返す。内心はいかなるものだったのか。父の死が、ことさら「生きる」ということを際立たせていた、終わりだった。
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