いやいや長かった^^;
非常に難解な話であり、冒頭にあった「ルカによる福音書 第24章」をある程度理解しないと終始「なんだこりゃ?」で終わる可能性大の作品。普通の刑事事件や、謎解きサスペンスの感覚で観てはダメかも。
この作品が聖書に準(なぞら)えて作られているのだとすれば、何度倒しても復活を遂げる國村隼は“キリスト”そのものであり、それに対抗する警官ジョングは“ユダヤ人”、祈祷師イルグァンは“司祭”、一連の事件そのものは“審判の時”を指し示しているかの様である。
ま、どうであれジョングが娘のヒョジンを必死に守ろうとしている描写には好感が持てました。
しかし、何で日本人ひとりなんですかね。しかも褌(ふんどし)一丁の國村隼。
「韓国からみた日本」そんな政治的な意味合いが感じ取れなくもありません。
國村を音読みにすると「コクソン」。
これは偶然だろうか?