KEKEKE

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのKEKEKEのレビュー・感想・評価

5.0
- なるほど、ランティモスはこの作品を最後に、彼がはじめた物語を一度終わらせたかったんだ

- この作品を観たのはしばらく前で、その時は軽い事故くらいの衝撃を受けた
- 第一印象としては、彼のこれまでの作風から父権性や家父長制、家族の病理をテーマにしているのだと感じた
- それはこの作品を観る直前にりゅうちぇるが自殺し、社会が彼に要求したものはなんだったのか考えていたからでもある
- 呪いが浮かび上がらせる構造が現実の何に置き換えられるかを想像したのだが、正直なところランティモスが今更ストレートに父というテーマを描くだろうかとあまりしっくりきていなかった

- だから一旦感想を保留していたのだが、今日、この作品の次作であるThe Favouriteで彼が突然愛の物語を撮りはじめたのを見て、あらゆることに合点が言った

- 彼はもっと巨大なもの、"パフォーマティブな社会が支配する構造"それ自体を描き、これまでの作風にピリオドを打ちたかったのだ
- つまりこれは彼が今まで描いてきた全ての作品の根幹に関わる物語で、監督として次へ進むための集大成なのである
- 人間はなぜそんなことをしてしまうのか→それはこんな構造があるからだ、というこれまで描いてきたテーマのその先、そもそも構造が人に役割を与えているんだというテーマで、家族という構造的役割の崩壊を描いた

- ランティモスはこれまでも、登場人物の社会的な役割を強調し浮き彫りにする作品を撮ってきた
- なぜあなたは男なのか、なぜ父親なのか、なぜ私はこれを選んだんだろうか、本当にそれはあなたの選択なんだろうか
- これを知る為には社会が事実と役割で構成されていることを見つめ直す必要がある
- 例えば、私はこの人から最初に産まれてきた男性であるという事実と、私はこの家の長男であるという役割があり、社会は主に後者による繋がりで構成されている
- そんなパフォーマティブな社会が、ある事件をきっかけに成り立たなくなってしまったら予想される混乱はどのようなものだろう
- そのもしもがこの作品における呪いであり、それはつまり社会からの解放、その人自身のパフォーマティブな役割からの解放である

- これまで構造による束縛、ロールプレイの不自由を描いてきたランティモスだが、この作品ではその不自由さが成立させていたものが何だったのかを浮かび上がらせた
- 彼の過去作で語りきれていなかったものを、現時点のフルパワーで描ききった
- そしてThe Favouriteは一転、愛についての作品なのだから、彼はペシミストを一旦辞めて、人類の可能性を愛に見出したのだろう
- さあ新作では何を語るのだろう、愛か友情か勇気か
- 個人的には愛の次は性だと思うのだけど

- 彼の集大成として本当に文句のつけようがない素晴らしい作品
- 超自然的な力と構造的支配の理不尽性の共通点
- 長男が選ばれたのは偶然かそれとも
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