華族制度廃止の翌年作品であり、当時としては至極リアルタイムな映画。
今までの生活が続けられなくなり、ついに屋敷を手放すことになってしまった名門安城家。没落華族が最後にみる一時の夢として舞踏会を催すのだが、そこで様々な思惑が交錯するというもの。
GHQによって華族制度が廃止され、家族のなかでも、こうなってしまったからにはなるべくはやくに順応しましょう派(次女)と、まぁなるようになるんじゃねえの派(長男)と、拙者絶対に働きたくないでござる派(父・長女)で割れている。
登場人物ひとりひとりの心の機微を丁寧に描きながら、時代とともに否応もなく変わってゆく富めるものたちの力関係を残酷なまでに描き出して見せた脚本と演出が見事。
原節子の立ち居振舞いはもちろん絶品だが、彼女の話す日本語がすこぶる美しい。庶民が言うとギャグになってしまうであろう「ごきげんよう」だとか「ごめんあそばせ」など、正しい上流社会の言葉遣いを常日頃から口にているかのような自然さで演じてみせるお姿は、私の目にはもったいないくらいの気品に満ちている。
舞踏会なので音楽にのせたダンスパーティが見せ場となるのだが、客人を招き入れる広間はボウル・ルームと言うには些か狭く、洋風の邸宅とはいっても日本家屋の域をでない構造なので、外国映画の舞踏会のような優雅なダンスシーンでないのは悔やまれる。
気位の高い出戻りの長女が、元運転手だった男のプロポーズを受け、首飾りもハイヒールも投げ出して浜辺で後を追うシーンが好きだし、森雅之のニヒルを気取って女を泣かせるクズっぷりはここまでくると清々しい。
47年という古さもあり、音質画質ともに粗いが、モノクロ映画を幾つか観たことがあれば気にならないだろう。