阪本嘉一好子

コーラスの阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

コーラス(1982年製作の映画)
4.8
最後に字幕が、『Institute for Intellectual Development of Children and Young Adults』1965年に創立された子供や若者の劇、映画、美術、文学など芸術を振興している団体らしい。

ホメイニの時代のイランの作品だ。会話が少ないのでここから何か読み取ろうとした。キアロスタミ監督は映画のどこの部分も意味を持っていると言った。何かを知らせようとしているということだ。難聴の老人がもうちょっとで馬車に轢かれようとした。慌てて、補聴器を耳に。店の付近で寝ている人を起こして話しかけるが言い合いになったかどうかで、相手のことをもう聞きたくないようで、補聴器を外す。
その後、赤カブのような野菜を買って家に戻ってくる。表のドアをロックせず入るが、挨拶を交わした人が外に出たのでロックされてしまう。部屋に入っても外は工事の音でうるさいので補聴器を外す。私は補聴器は便利なものだなあと思ってみていた。
外では孫が学校からうちに戻ってきたので、入り口のドアを開けてと叫んでも叫んでも返事がない。老人は補聴器を外しているから全くというほど聞こえない。茶をいれて、角砂糖を口にし、茶を飲む。孫の周りにはグループができまるでコーラスのように、『おじいさん、ドアをあけて』と大勢の子供たちが叫んでいる。老人は微笑んで孫たちを部屋から見つめる。

正直なところ監督の思惑がわからない。残念だ! 私の理解不足だ。子供たちのための芸術作品だということにしようか。ホメイニの専制国家で芸術に統制が出てきているのに、何かきっと言いたいことがあったはずだ。

補聴器を外した老人は周りの音がほとんど消されてしまうが、映画でも視聴者にも雑踏が聞こえなくなってしまう。それゆえ、起こる子供たちのコーラスが面白くなるので、着眼点がいい。
モフセン監督のサイレンス(1998年製作の映画)に似たシーンがある。