このレビューはネタバレを含みます
【否定の否定】
ホロコースト否定論の存在を初めて知りましたが、比較的最近、否定論者が原告となってホロコーストの歴史学者を名誉毀損で訴えていたことに驚きました。
英国式裁判も興味深かったです。
原題はDenial。
周囲の声には極力耳を貸さず、自身の良心にのみ従ってきたというDeborah。彼女が弁護団を信用するには、同じ目標を目指しながらも違う道を選ぶ他者を「否定」せずに、彼女自身(の良心や正義)を一旦「否定」する(封じ込める)必要がありました。そしてその弁護団のやり方というのは、Deborahの正当性を証明したり、生存者を証言台に立たせて史実を肯定したりするのではなく、原告Irvingの主張が如何に信憑性がないか、真っ向からホロコースト否定論を「否定」するものでした。
(弁護団の具体的な作戦は、①Irvingの差別主義と、②ホロコースト否定論を正当化できる史実がないこと、の2点に関連性があることを証明することです。ただ、判事の際どい質問から、Irving個人の”belief”に基づいた認識だとすれば、それが例え誤認識でも、名誉毀損が成立してしまうか?!…と危うくなります。つまり①だけなら個人の自由…、宗教みたいなものだと。しかし歴史を書く/変えるだけの根拠がない(②)のに、Irvingの主張を認めたら、差別的信念により書き換えることを許すことになってしまいます。この点に判事も最終的には気付いたのでしょうか…。うーん、ややこしい。)
また、Irving自身も、史実を都合良く捻じ曲げ、信じたくないものは判決ですら「否定」する男でした。
邦題は、アウシュビッツの事実に対して、否定か肯定かという、原告側と被告側を推察させます。しかし原題は、被告側が原告を否定することに焦点を当てているようです。
時に真実は残酷で、目を向けることを躊躇うことが多々あります。被害者側の歴史は語られやすく、加害者側は伝えにくく、国が変われば歴史(の印象)が大きく変わります。史実を、他人の価値観や意見を、丸ごと受け入れることは大変困難ですが、歪めることなく理解に努めていかなければなりません。
うるさいと評されている😄Deborahは、英国人から見た、主張も語気も強い感情的なアメリカ女性のイメージでしょうか?実際のご本人は知りませんが、議論となるとやや感情に訴えがちな被告人を裁判で黙らせておくという弁護側の作戦にも納得がいきます。作品内ではDeborahよりも、Ramptonら弁護士の英断と活躍が際立っていました。
“What feels best isn't necessarily what works best.”