鈴木パンナコッタ

KING OF PRISM PRIDE the HEROの鈴木パンナコッタのレビュー・感想・評価

KING OF PRISM PRIDE the HERO(2017年製作の映画)
3.1
思うに、キンプリの面白さは抽象化されたストーリーとキャラクターの対比にあるのではないか。

前作に引き続き、短い尺で多数のキャラクターを出すためにストーリーは大胆に省略。言い換えれば、ストーリーが極めて抽象化されている。
例えば世界を滅ぼしたというセリフは何を指すのか具体的な描写は無く、シンとルヰの特別な関係を示すための背景に過ぎない。
エーデルローズの抱える負債やシュワルツローズの陰謀も、具体的な経緯は新聞やニュースなどでざっくりと流し、メンバーたちの置かれた危機的な状況を伝えるための説明以上の意味を持たない。

キャラクターたちの感情の導線が主軸であり、ストーリーはそのためのコンテクスト。この極端な割り切りの分、プリズムショーの荒唐無稽なパフォーマンスがじっくりと描かれる。ここで個々のキャラクター単独で描写されるのではなく、何らかの形で対比することでより際立つように徹底されている。
アレクがショーの統治を言い渡して観客を奴隷にすれば、カヅキはFREEDOMを歌いあげてファンの解放を宣言する。会場の破壊と再建で両者の関係が対比される。
シンが3連続ジャンプを成功させて地球を抱きかかえると、ルヰは地球を抱くパフォーマンスをリフレインして4連続ジャンプを行う。ここで描かれるルヰとりんねのやり取りは、前半でルヰがシンに行ったルナミスティックヘブンと重なり、両者の深いつながりが示唆される。

これらは明言されたわけではないので、ともすれば断片的な情報や仄めかしばかりで意味不明に感じる。しかし逆に言えば、キャラクターたちの過去や因縁には余白が多く、非常に大きな想像の余地があえて作られていると言える。視聴者がキャラクターたちのifストーリーを想像し、作り出せるようになっているのだろう。
視聴者が積極的に参加できる作品とでも言おうか。応援上映にせよ何にせよ、視聴者が何らかの形で能動的にかかわってくることを促すようになっているように感じる。