ダンクシー

君の膵臓をたべたいのダンクシーのレビュー・感想・評価

君の膵臓をたべたい(2017年製作の映画)
3.5
「私も君も、一日の価値は一緒だよ」

ド定番の映画。この映画の解釈として全員が行き着くところは、"結局浜辺美波は可愛くて北村匠海はカッコイイ"ということでしょう。何回観てもそうなってしまう。そうでしょう??

未来ある高校生の時に、もしも余命宣告されてしまったら、皆さんならどうするでしょうか。生きてるうちにやりたいことをして、夢を叶えたいでしょう。自分が言いたいことも正直に伝えたくなるでしょう。これが根本にある事を忘れて観てはいけませんね。

「一番辛いはずの当人が悲しい顔を見せないのに、他の誰かが代わりに泣いたりするのってお門違いだから」

病気と死はあくまでも要素であって、描きたいのは恋愛でなく他人と関わる事についてだと感じた。この映画のテーマは限られた命。猶予ある命は、残りあとわずか。そんな桜良は、他人と関わる事で生きている事を実感できている。
関わることは、まさに"僕"が避けてきたこと。そんな僕が初めて人を認めたいと思い、関わりを持ちたいと思った人物が桜良。この2人はお互いのない部分に惹かれ合うのですが、僕は病院で落ちていた本を見つけて、拾い、読んでいる。この選択をしたのも僕自身であり、桜良との日常も自身が選択したことだ。無意識でも拒否していない、これがねぇ、非常にいいんですねぇ。劇中の最も重要なキーポイントは、選択。

そして代名詞でもあるゲーム、真実か挑戦か。いわゆるこれは無限の"選択"なのです。このゲームでの選択は桜良が逃げ道を潰してやや強引に進めていくわけですが、僕は常に拒否できた。でもしなかったのは自身が選択したからだ。僕が今までの人生で他人と関わるのを避けてきたことに対して、向き合い逃げないため。そして何より桜良のため。僕は興味があったのだ、それゆえに拒否はしなかった。

何年も前の初鑑賞前、タイトルだけを見て、東京喰種のような作品なのかなと勘違いしていた自分がなんともアホらしい笑

「好きなのに嫌い 楽しいのにうっとおしい。そういうまどろっこしさが、人との関わりが、私が生きてるって証明だと思う」

あくまでも我々のように病気ではなく普通に生活している者は常々選択している。無意識のうちに真実か挑戦かを行っているのだ。それをゲームにしないと出来ない桜良が、トランプを使い可視化させる事に意味があり、そうして自分を表現している。やりたい事をして、言いたいこと伝える。そしてそれを僕に理解してもらいたいと思っている。この関係性ゆえに成立している。

真実か挑戦は、僕のことをもっと知りたいという桜良の欲望であり願いであるように見えますが、これは唯一自分を理解してくれるであろう僕への愛の告白なのだ。
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