ぷーや

食卓のぷーやのネタバレレビュー・内容・結末

食卓(2016年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

「家族」という言葉が使われるとき、一般的な定義の下に、より情緒的というか、伝統的というか、な意味が言外ににおわされていることもある。たとえばそれはその集団全員で一汁三菜の食卓を囲むのが理想の姿だ、とかそういうのだけど、この映画でそんなのは早々に崩壊するし、この3人にとっては、むしろ食卓がフライパンまみれになった後の方がなんとなく収まりがいい。
例えば車のキーとキャッシュカード、猫の水飲み器を通じた、そこに幸せがあるわけでもないうっすらとした繋がりが、そう悪いものとも思えず、このようになりたいとは全く思わないが、別にこれはこれでいいのだからそっとしておこうという気持ちになった。

マックのゴミとワンカップまるの空き瓶が部屋の隅に積み上げられ、酒に囲まれて死んだ父親も、あるべきところに収まったというか、それが良きことなのかは分からないけど、まあまあそれはそれで(この映画の中では)ありだよねと。こぼれたビールを拭いた紙くずが、階段を落ちて食卓の父親の席にたどり着いたとこからもそう感じた。

ただ、この映画がそういう説教臭い主題を掲げているわけではなく(もっとコメディな感じ?ピザの切り方とかもそうだしポエムの件も)、自分が勝手にそう読んでいるだけだろう。

息子はあららって感じの奴だけど、母親の見えないところで塩を振ってるし、ピザは3等分して1/2ではなく2/3を父親に渡してるし、フライパンアートを銀座のギャラリーに繋いでるし、どうしようもないやつでもない。最初は写真ばっかとってうっとおしいなと思ったけど、それがギャラリーに繋がったわけだし。搬出されるとき母親と二人で外に立っているとこはなんかいい。

最後、息子が割れたビール瓶を持ってるってことは、父親の死体を見たはずだろうに、何もしなかったのはどういうことだろうか。あとはなんでフライパンなんだろうか。食卓に繋がるものではあるけど。それと音楽の使い方が独特。

父親が入っているトイレを開けた時の反応は身に覚えがありすぎて笑った。
ぷーや

ぷーや