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サーミの血のnenecoのレビュー・感想・評価

サーミの血(2016年製作の映画)
4.0
記録。

『静かな、強い意志。』

北欧スウェーデンの迫害の歴史。
1930年代、スウェーデン(ラップランド)の先住民族サーミ人は、他の人種より劣った民族として差別され、酷い扱いを受けていた。
私はこの映画を観なかったら、サーミ人のことも知らなかった。
胸がとても苦しくなったし、とても閉鎖的な世界だと感じた。

最初、妹の葬儀に出た主人公が何故冷ややかな目で見られていたのか分からなかったが、観終えて全てが繋がった。

人種差別、サーミ語、ヨイクという歌。
初めて知ったことは多いが、それが差別的なことに繋がって良いはずがない。

身体の細部まで測定され、服を脱がされ写真を撮られ、ある時は男の集団に押さえ付けられ、耳を切られる、、観ていて痛々しく、測定の意味が分からなかった、、何の意味があったんだろう。

自分のしたいことも出来ない、
どこにも行けない、
とてもとても、狭い世界、
一体彼女たちは、サーミとは何なのか。
ずっと頭の中で考えながら観ていました。

とても静かな映画だが、一人の少女エレの強い意志が描かれていると感じた。
服を燃やす等、「もうサーミには戻らない」という強い意志を感じた。

「外の世界」も厳しく、一体彼女はどこに行けば自由に、自分らしく生きていけるのだろうかと思った。

劇中の「これで何人目?」の一言がとても気になった。
以前にもラップランドから逃げてきた人がいたのか?(考えながら観ていたからかな、、)

体操の経験さえない、
口紅をつけたことも、マスカラも。
「どこにでもいる女の子」のように、おしゃれもまともにしたことがない。
それがサーミ人の現状で、そんな彼女が新しい学校で「どこにでもいる女の子」のように会話を楽しんでいる姿を観て、じーん。
「どこにでもいる景色、光景の中に彼女がいる」、それだけで泣きそうになったし、それだけラップランドの人々が狭く閉塞的な世界で暮らしているのだと、現実を知らされたように感じた。

「人類学専門なの」と、彼女にサーミの歌・ヨイクを歌わせるシーンは正直腹立たしかったし、生きている同じ人間なのに、何が人類学専門だと気分が悪かった。
それでも外の世界で生きていくためには、故郷の歌を歌わなければならない、観ていて辛いというか、初めて知ることの多さに消化不良でいっぱいいっぱいだった。

この映画を観て私が思ったことは、「自由に生きる権利は必ずある」ということ。

ラスト、現代の老婆のエマが妹の遺体に語りかけた言葉に胸が締め付けられた。
そして、彼女はラップランド、サーミの「地」を見て、何を思ったのだろうか。
妹を置いて、家族を置いて、自分だけ自由を手に入れたことを悔やんでいたのだろうか。
それとも、ラップランドの地で生涯を終えた、自分の知らない妹の人生を思っていたのだろうか。

そして最後に。
「俺下手クソだよ」と言いながらエレをダンスに誘うニクラスにきゅーーーん💘笑
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