阪本嘉一好子

サーミの血の阪本嘉一好子のネタバレレビュー・内容・結末

サーミの血(2016年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

この物語の何箇所かは監督の祖母の話だと後で読んだ。今でも少数民族に対する差別は根深く残っていると思うが、これがいつの時代か気になって調べてみると 1930年代の話だ。14歳ごろサーミの土地を離れ、60年ぐらいたって、妹の葬儀が理由でサーミの土地に戻ってきた祖母の話。

偏見や差別、嫌いな文化から逃れるため、自分を偽ってきた。人々に蔑まれ、何ひとつ、希望を与えてもらわず、それに、頼ればそれが間違いだったと気付かされ人生を生きてきたと思う。エレ・マリャのいくつかの人を利用する行為は同意しないけど、これだけ自分の血や育ちを嫌っていきた彼女の最後のシーンの姿。血は争えないというより、60年もラップランドのサーミの土地と家族に対する謝罪と郷愁に駆られて、妹に誤り、山を登ってあがったと思う。



学校の先生『あなたはスウェーデンの子供たちと同じスキルをもっていない。エレ・マリャ、あなたはかしこい。でも家族を手伝わなきゃ。あなたたちだけが、必要なスキルがこの村にある。』

エレ・マリャ『もしここにいたくなければどうしたらいい?』 

学校の先生『それにかんしては私は何もできないよ。』

エレ・マリャ『じゃああ誰が決めるの?』

学校の先生『統計が証明しているの。あなたたちは街に行って他の人と交わることができないって。あなたたちはここに住むの。そして、死んでいくの。ここで、』

この学校の先生の言葉はエレ・マリャを失望させた。こういう考えじゃ、このサーミの生徒たちを教えることができない。ただの仕事として教職についているだけなんだなあと。なんて思うけど1930年代のラップランド。しかし、この主人公、たくましいが、全く笑いがない。心に余裕がない人だったね。いや、彼女の人生がそうさせたと思う。

それに、サーミの住んでいる土地でのスウェーデンの子供達ののいじめも強烈だった。トナカイのように『耳を傷つける』て印を残す。数をあげればキリないが、Yoikingを( Yoik of the Wind  これをコピペして聞いて。自然と一体になるような音楽の文化)ニクラスの誕生パーティーで人類学を学んでいる人に無理やりハミングさせられるシーンがあるが、今流に言えば、マイグロアグレッションの典型だ。最悪。