Eike

THE BATMAN-ザ・バットマンーのEikeのレビュー・感想・評価

4.0
The Batman
スーパーマン、バットマンそしてスパイダーマンがいつの時代もアメコミヒーローとしては不動の人気だと言われているそうだ。
MCUが全盛の現在、この構図に変化があったのかはあずかり知らぬところだが少なくともアイコンとしてこの3者は依然として大きな存在である気はする。

事実、彼らの出演作はほとんど途切れない。
日本におけるオタク文化はどんどんとニッチでマニアックな方向に進むのが定番と思われるのだがアメリカのアメコミ映画ではこれら人気キャラクターのリサイクルが延々と繰り返されている印象がある。
スパイダーマンは2002年、2012年そして2017年に新たな単独作品としてシリーズがスタートしている。
そしてバットマンはと言えばもちろんT・バートンによる本格映画化が1989年に登場し、2005年にC・ノーランが本格ドラマ路線を成功に導いた。
ただ、近年のザック・スナイダー版の諸作では主要キャラクターの一人としての扱いが続いていた訳で、今回のThe Batmanは本格フランチャイズとしては3サイクル目と言えそう。

同じキャラクターの同様のエピソードを延々と繰り返していて「飽きないのか?」という事が不思議ではある。
アメリカにおけるこれらスーパーヒーローの物語はもしかしてシェークスピア劇と同じく普遍的なクラシック作扱いなのかしら。
そうなると後は独自色をどのように打ち出すのかと言う点が重要になって来る。

その意味で今回のThe Batmanは中々の意欲作と言えるだろう。
C・ノーランによるDark Knightトリロジーで漫画映画をシリアスドラマとして語るスタイルが大成功した訳でそこからどのように発展させるのかについては興味がありました。
現実問題としてノーラン版の成功は「バットマン」のスタンダードなイメージを確立したとも言える訳で、新たな作品を作るには余程頭をひねらないと新鮮な印象の作品とはならないのではないかとも思いました。

本作の特色の一つ目はブルース・ウェインの若き日々の活躍を描くことにした点。
T・バートンによるバットマンの時点でB・ウェインは大富豪の実業家であり、アダルトな印象が強い人物像でした。それはノーラン版でもまたスナイダー版でも踏襲されておりました。
闇のヒーローと大富豪の実業家としての2面性のどちらもアダルトなトーンと相性が良い訳ですからこれは納得できるところ。
ところが本作のB・ウェインはバットマンとしてはまだ2年目で両親を殺害された心の傷を怒りに変えて街を徘徊する「壊れたヒーロー」であり、時に暴力衝動ともとれる行動に危うさも垣間見えます。
またバットマンとしての行動にのめり込むが故にウェインエンタープライズの経営は危機的状況にあり、それが街の腐敗を増長させる要因ともなっているあたりも巧い設定です。
演じるロバート・パティソンの風貌は「苦悩する若者」そのまんまなのだが英国人である彼の持つムードはシリアスで、本作の色とうまく合っております。

二つ目は作品のトーン。
アメコミヒーロー映画である以上、「期待されること」と「提供しなければならないこと」の二つに縛られている訳でその上でどう独自色を作り出すのか。
アメコミ作品はそういう意味で実は制限が強いジャンルであるとも言えるでしょう。
特にDCとMCUでこれほど多くの作品が既に作られている現状では猶更である。
本作はオープニングからかなり露骨に「サイコホラー調」。
しかもリドラーによる凶行を描いた後、バットマン=ブルース・ウェインの苦悩と怨嗟にみちた独白がゴッサムシティの風景にかぶさるようにナレーションとして流れてくる訳でこの辺りは「ハードボイルド小説」ばりなのだ。
確かにこのタッチはMCUでも見た覚えがない訳で目の付け所が良かったと言えそう。
バットマンというキャラクターは基本、闇・夜のイメージが強く「汚れた街」をサイコパスの凶悪犯が突きつける謎の答えを求めて彷徨う様は正にハードボイルドミステリなのだ。
とは言え、本作はミステリ映画ではない。
ミステリタッチの導入はあくまで作品のトーンに説得力を持たせるための物であり、本作ではそれが一定の範囲で巧く機能しているということである。
その点で言えばヒロイン役のゾーイ・クラヴィッツ演じるセリーナ・カイル=キャットウーマンはもろにファムファタルでもあり、ご丁寧にも本作では悲しいバックストーリーまで披露されている。

そして3つ目としてゴッサムシティそのもののキャラクター性を打ち出した事。
これは「ジョーカー」の系譜を引き継ぐ意味でも納得できました。
ノーラン版の「ダークナイト」においてバットマンもジョーカーも都市のノワールのピースに過ぎないことが示されたことで単なるアメコミ映画の枠を超えたと感じたのですが、それ以降はその点についてはあまり強調されていなかった訳で本作の切り口は今後に影響を及ぼしそうではある。

腐敗した街が生み出すカオスと言う点で言えば本作のお手本となったと思われるのがD・フィンチャーの「セブン」である。
本作のヴィランであるリドラーの行動はセブンにおけるジョン・ドゥー(K・スペイシー)ともろにダブって見える。
暗く、雨が降りしきる汚れた街の中で欲望と負の感情が蓄積されて発酵し「悪」が生まれて来る、そのイメージをきちんと描いたという点だけでも本作は評価に値すると思います。

トム・ホランドを主演に据えたスパイダーマンが「青春映画」としての切り口で新鮮な印象を生み出したように、本作で都市のノワールドラマとしての新生バットマンのトーンは決定づけられたとみて良いのでしょうか。
今後もアメコミ作品は作り続けられるのでしょうが、本作くらい、アイデアと世界観を固めた上でリスクを負ってでも独自色を打ち出してもらわなければ少なくとも大人の観客からは飽きられてしまうのではないかと思います。
Eike

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