レインウォッチャー

世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

3.5
端っこ同士の団結が未来をつくる。

世界一平均的とジャッジされた、平和な田舎村。目をつけて乗り込んできた「銀色団」は、村を新商品の実験場にして一儲けを企む。
新商品に目が眩みフツーを強制しようとする大人たちと、フツーじゃない幼稚園児たち・「ハナグマギャング」の戦いがはじまった!

ミュージカルテイストも盛り込んだ、ちょっとブラックでパンクな童話。
全編がトイカメラで撮られたような映像で、建物や車がミニチュアのように見える。暖色メインのパステルな世界の中、「銀色団」が村に持ち込むモノたち(青汁コーンフレークとか)は寒色系の血が通わない色合いであり、差し色として画面をマーブルキャンディのように彩りながら、皮肉のスパイスとしても機能している。

活躍する子供たち6人はオーディションで選ばれたマジちびっ子。階段を登るとき、足の長さが足りなくてお尻から登る感じとかとても可愛らしいし、みんなほんとに良いワルガキ顔をしてる。

興味深いのは、彼らが心を通わせ、頼りにするのが村の老人たちという点だ。
画一的なライフスタイルに順応し、子供たちから自由を奪うのは親世代の大人たちであって、上の有閑階級的なジジババ世代は子供の心を解してクリエイティブたれと導く存在とされている。(そんな老人たちは面倒がられて皆ホームに押し込められてしまう。)

ここに、作り手であるファイト・ヘルマー監督の「失われつつあるものに対する憧憬・慈しみ」の視線を感じることができる。それはサイレント映画への愛でできた奇跡の超名作『ツバル』の頃からきっと変わっていない部分だ。

一般的で画一的、つまりフツーなモノやテクノロジーがなぜ有用かといえば、一番は経済的であることに他ならない。「自由」や「個性」にはコストがかかるのだ。
しかし、時に子育てなどは効率性だけが最適解ではないし、今もっとも合理的な仕組みが今後も継続する保証はない。

終盤で子供&ジジババの起こすトンデモ・カタストロフな騒動が、既存のものを活用した発明(汽車を飛行機にしてしまう等)であることが一つの道を示している。
温故知新という言葉があるように、常に発明とは新しいニーズと積み重ねてきた知識や経験がマッチして生まれるものであること、そして、そういった創意工夫が「次のフツー」を作ること。

子供らしくゆるいファンタジーのすきまから、そんなクリエイターの矜持がのぞく作品だ。要するに投資せい、ってことなのかもしれないけれど。

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マスコットでもあるハナグマ、クアッチちゃん。タイトルのイチゴミルクは彼の好物だ。
もちろん演出や特殊効果の補助もありつつだが、あくまで基本は生身、大活躍の演技(というか芸というか)に驚く。

この、アライグマとアリクイが曲がり角で正面衝突して生まれたような動物についてわたしはほとんど知らなかったのだけれど、調べてみると手の指や爪が発達しており非常に器用で、物を掴んだり引き出しを開けたりはお手のものなのだそう。
しばらく、イチゴを見れば思い出しそうだ。