カラン

光のカランのレビュー・感想・評価

(2017年製作の映画)
3.5

被写界深度を思いっきり浅くして形態を捉えない光でスクリーンを満たしてしまう目眩ショット、また、人混みの中手持ちカメラをグラグラ揺らして対象を探す不安な焦燥ショットがよかった。

永瀬正敏が演じるのは視力を喪失しかけているが、既に業績を残している中年のカメラマン。

水崎綾女が演じるのは、盲人、つまり映画を観れない人たち、のために映画の音声ガイドを作る仕事をする若い女性。

盲者は映画が見えないから、自分の言葉で映画を説明して感動してもらえるようにする仕事なのだが、何度かセッションが組まれる試聴会では盲人たちから厳しい言葉をかけられ、涙がこぼれる。私たちは感動できないわけでない、私たちは映画が分からないわけでない、本当に想像力がないのは誰なのか、と。盲人に心を見透かされているような気がして、余計に苛立っている若い人。

それでだ、仕事場では厳しい評価に心が揺れていて、実の母親は奈良の山奥で痴呆になっていて、父親はそんな家から失踪してしまい、色々と所在をなくしかけている若い女が、視力を失いつつあるバツイチの天才カメラマンと接近するならば、、、極めてノーマルで凡庸な反応が起こる。たぶんこのノーマルさ、凡庸さに本当は我慢がならないのはこの映画の監督自身なのではないか、それが彼女のクロースアップショットが決まらない理由ではないか。。。彼女を写すとき、まるでカメラは彼女には無い何かを探して、結局、肌のあばたやしみしか見つけられずにカットになるという調子なのである。

プリズムを通した光はキェシロフスキの『トリコロール/青の愛』かな。また、劇中劇の海辺の映画監督はアンゲロプロスの『永遠と一日』かな。他にも色々と気配を感じたが、もっとやれたはず。特に劇中劇は酷い出来で、藤竜也が映画監督役なのだが、老人向けの萎びたエロビデオみたいになっていた。

永瀬正敏ってイケメンじゃないのにスカした感じがしてあまり好きでなかったが、映画内の世界にしっかり着地していて、危なげなく演じていた。初めて彼がよいと思った。

水崎綾女さんは、リップをグロスにしたり、ナチュラルにしたり、オフィシャルなレッドにしたりする。グロスの時間が長いのだが役にあっていない気がする。盲者を前にグロスって、虚栄心しか光らないようで、彼女を見ていて淋しい気持ちになった。

一緒に観ていた嫁は観終わって、あの人なんでこの娘のことを好きになったんだろう?とぽつりとつぶやいた。なんとなく、、、なんだろうね、と私は答えた。

この水崎さんも、監督も、この若い女の役を煮詰められていないのではないかな。カメラも、永瀬正敏が夜の歩道橋で彼女の顔を撫でて瞳を溶かしてしまうシーン以外は、クロースアップすればするほどに、何も、何もない。本当は虚無を写さざるを得ないのに、それじゃあラブが成り立たないから、彼女の存在の虚無とは別のものを彼女の中に探そうとするカメラの迷いに、つまり、映画の不完全さに、観ている側としては大丈夫か?と居心地がとても悪くなる。そこそこ立派な風物のショットが織り込まれている分、彼女のショットが悪目立ちしていたのではないかな。

「想像力がないのはどっちかな?」(^^)
カラン

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