持て余す

ユリゴコロの持て余すのネタバレレビュー・内容・結末

ユリゴコロ(2017年製作の映画)
2.4

このレビューはネタバレを含みます

殺人鬼を異常者として描かずにひとりの人間として描くのはなかなか骨が折れると思う。

なにしろ、強い怨恨だったり激しい怒りに駆られてとかの「想像しやすい動機」もなく、壊れた異常者が嬉々として殺すでもなく、「つい殺してしまう」という習性のようなものを成立させる必要がある。

無論、共感は生みにくい。この世の殆どの人は直接的には人を殺したことがないのだから、積極的に人を殺す人の気持ちを理解するなど難しいに決まっている。ただ、この映画ではそれを噛み砕いて、殺人鬼自身もそれで困っているのだというように感じられる。演出、脚本、演者のバランス感覚が非常に優れているからこそのことで、とても感心する。

ただ、全体のストーリーには少し難があると思う。特に、松坂桃李演じる亮介。この人もの静かで真面目だしパートナーをはじめ周囲の人間にもとても優しい。どこに出しても恥ずかしくない人格者だと思える。病気の父親に対する態度にもおよそ欠点がない。

ところが、父親の持っていた殺人鬼の手記を読み始めてからの動揺が、尋常ではない。これが殺人鬼の手記よりも共感できない。着いていけないレベルで取り乱して、それまで人格者振りがどこへ行ってしまったのか、とても厄介な人になっていく。とりわけ、手記の人物が自分の母親であると判ってからは、この世の終わりみたいな顔をして、周囲にも迷惑をかけだす。

こうなってしまうと、この人の人格者の側面はムリして作っていたものだったのだと感じてしまう。こんなに頑張って作り上げた自分のキレイなペルソナが、母親のせいで崩れてしまった───そう受け取れる。

10代の思春期真っ只中の少年ならいざ知らず、嫁も迎えようかという大人がこの状態であるのはなんだかよく解らない。原作は読んでいないけれど、元からこういう感じだったのだろうか? それとも、ショッキングな事実であることを強調したいがために少しやり過ぎてしまっただけなのか。

松山ケンイチ演じる過去の父親が「あなたの優しさには、容赦がありませんでした」というぐらい器の広い人間なので、息子の小ささが際立ってしまう。言ってみれば、これ松坂桃李もずいぶん損をしていると思う。

手記の中についてはとてもよくできていたので、とてもアンバランスな印象でしたとさ。リスカ痛そうだったなー。
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