シズヲ

ヤコペッティの 残酷大陸のシズヲのレビュー・感想・評価

ヤコペッティの 残酷大陸(1971年製作の映画)
4.3
黒人奴隷制時代のアメリカに突撃取材。モンド映画の先駆者であるヤコペッティ監督が、モンド映画のテンションで撮影したモキュメンタリー映画。イタリアの撮影班がヘリコプターで農園に降り立つオープニングは『Oh, My Love』の優雅なサウンドも相まってまさしく異様。なぜ彼らが当たり前のように時空を越えているのか特に説明無しだが、内容の壮絶ぶりでどうでもよくなる。在りし日の南部貴族らも何故か取材班を普通に受け入れるので「まあ、そういうもんなのかな……」とこちらも納得せざるを得なくなってしまう。

数年後に公開される『マンディンゴ』からドラマ性すら排除し、あの禍々しさと不条理性を更に凝縮したような非人道的シーンが次々に飛び出す。これほどの黒人エキストラをよく集められたなと思うくらいの物量はもはや壮観。作中に出てくる黒人奴隷は文字通り人権無しの家畜で、終始に渡って彼らの蹂躙ぶりが映し出される。交配が繰り広げられる奴隷牧場や黒人女性による性奉仕など人格否定ぶりが凄まじい。「彼らは赤ん坊程度の知能しかない」「臭くて醜い獣」「自由は信奉しているが平等とは違う」など白人側の理屈も圧巻。宗教を利用して奴隷制の正当性を訴える恐ろしさよ。可憐な白人貴族の少女が鎖で繋がれた黒人奴隷少年を引き連れているカットなどのキレっぷりにも慄く。

この映画の凄いところは常に冷笑的な点で、これだけ壮絶な映像が繰り広げられても何処か見世物臭さが漂う。撮影こそ臨場感に溢れているものの“撮影クルー達が黙々と18世紀の南部アメリカを取材する”という内容なので終始傍観的。取材班も直接カメラに映るシーンは皆無で、インタビューの際などに声が入る程度。視点を担う筈の登場人物から“登場人物としての共感性”がほぼ排除されているので、観客は否応無しに映画との距離を突き放される。そもそも世界各地の奇習や残虐映像をヤラセ込みで捉えていたヤコペッティ監督なので、高尚な問題提起というよりも胡散臭さを含んだジャーナリズムのような雰囲気がある。

リズ・オルトラーニによる優美な音楽はショッキングな映像と実に対照的で、まさにモンド映画の悪趣味ぶりを引き継いでいる。黒人女性が白人男性に無理やり乱暴されるシーンでやたら美しい旋律が流れるのは色んな意味で衝撃的。黒人奴隷の去勢を他の黒人奴隷達が見世物のように大喜びで眺めたり、「主人が奴隷を抱いている筈がない」と婦人が言及するシーンで奴隷女性の胸がこれ見よがしに映し出されたり、ブラックな笑いの切れ味も鋭すぎる。「黒人は奴隷として扱うべき劣等種だ」「あなたはユダヤ系?」「そうだが」の下りは皮肉めいてて最高。異様な臨場感に溢れたカメラワークも時に如何わしさすら感じる。

ごく自然に残忍な白人はおろか、時には黒人に対してもシニカルな内容だが、その上でテーマ的なインパクトをしっかりと叩き付けてくるのが秀逸。劇映画と化したことで、モンド映画の“演出性”がグロテスクな程に機能している。白人の“理屈”を耳にする黒人奴隷の表情をクローズアップで映し出すような何気無いカットが印象的。過去の反逆と現代の暴動がシンクロする終盤のけたたましい演出もある種アバンギャルドで、今もなお心の奥底に“憎しみ”が根付いていることを表すラストも強烈。

「殺さなくてはならない!愛してるから!白人女だから!」
シズヲ

シズヲ