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スマーフ スマーフェットと秘密の大冒険のJAmmyWAngのレビュー・感想・評価

4.2
色彩や姿形といった表面的な形象をパラノイアック気味に生かしたギミックの数々がとても楽しいのだけれど、この表層的な実存性を表現における手段の中心として扱っているのと同時に、ある意味ではそれ自体が根本的なテーマ性をも獲得してしまっているワケで、この手段と主題の一致性には神様とピッコロが一体化した神コロ様のような趣があると思うのです。

実存としてスマーフに生まれた集団の中で、後天的な本質としてのスマーフ性によって生きている異物的な存在があって、「姿形としてのスマーフ」という表層における実存的形象の崩壊と再構築を通して、「行為が真の自己を形成する」というスマートな着地をスマーフ達が見事にキメてくるワケです。

サルトルの〈実存は本質に先立つ〉をアニメーション的に実践する事で「実存」をフィジカルに躍動させながらも、その内面としての普遍的な「本質」の豊かな可能性を明るく楽しく呈示するというこの真っ直ぐな姿勢こそは、53万個存在すると思われる私の弱点の一つであり、ウルトラZの涙がスマーフ達の前でスパークしながらきたねえ花火として心に打ち上がった次第なのでございます。

それはつまりボーヴォワールの〈人は女に生まれるのではない、女になるのだ〉に対して、さらに「それはどんな女なのか」という対自存在としての多様性にも同時的に踏み込んでいるという事でありまして、キャスティングとして「最強の〈一人称・アタイ〉性を獲得した女」ミシェル・ロドリゲスのアタイっぷりが今作でも炸裂しているという隙の無さに改めて感服致しました。

孫悟空の「オラ」と、ミシェル・ロドリゲスの「アタイ」が放つ銀河的固有性にはビルス様もたじたじで、〈神と神〉の究極系として〈オラとアタイ〉にまで到達してこそ、『実存主義とはサイヤニズムである』と言えるのではないだろうか。まあ言えなかったところで何の被害も被らないから別にどうでも良いと言えばどうでも良いという感じにNO-TEN P-KANでありながらIPPAI OPPAIだったりもしたけれど、ボクは元気です。
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